供給制限か在庫十分か。高市政権の二枚舌とナフサ不足の真相
沈黙する製造現場と「失われた30年」の正体
現在、日本の製造現場を「ナフサ不足」という見えない嵐が襲っている。中東情勢の緊迫に伴い、プラスチックや合成ゴムの原料となるナフサの確保が困難となり、実生活を支えるあらゆる製品の供給が滞り始めている。これは単なる一時的な物流の混乱ではない。過度な経済合理性とコストカットを追求し、エネルギー安全保障を軽視し続けてきた「失われた30年」の付けが、国民生活という急所に突き刺さった結果といえる。もはや、生活用品の欠乏が市民生活を直撃する事態は、避けることのできない段階に達している。
「安心」を演出する政権の思惑
こうした危機的状況に対し、高市政権は一貫して「在庫は十分にある」との主張を繰り返している。政府の最優先事項は、かつてのオイルショックや昨今の米不足のような買い溜めパニックを未然に防ぐことにある。そのため、定量的に確保量をアピールし、国民にさらなる節約を求めない姿勢を示すことで、市場の平穏を維持しようとしているのだ。しかし、政治の見解と現場の現実に乖離があればあるほど、結果としてパニックは巨大化する。歴史が証明するこの皮肉な法則を、我々は忘れてはならない。
内部議論で露呈した供給制限の現実
矛盾は政府内部の議論からも透けて見える。表向きには「経済を止めない」と語る一方で、国民会議の場では「供給制約」を前提とした経済対策の議論が進められている。つまり、政府は「供給が物理的に足りなくなる」という現実を内々に認めながら、対外的にはそれを否定するという危うい二枚舌の状態にあるのだ。消費税減税という国民の切実な要望を「レジの改修」などを理由に退ける一方で、供給制限という重い現実を議論の前提に置く姿勢は、極めて不誠実であると言わざるを得ない。
自己防衛を迫られる国民の選択
すでに企業間取引の現場では、独自の自己防衛が始まっている。政府の「在庫はある」という言葉を鵜呑みにして工場の稼働計画を立てれば、いずれ足元を救われることを熟知しているからだ。この自衛の動きはやがて一般消費者の生活にも波及し、特定商品の品薄状態は加速していくだろう。長年の緊縮財政と無策が招いた政治不信は、もはや政府の言葉だけでは拭い去れない。我々に必要なのは、冷静に事実を見極める知識である。国家に依存せず自らを、そして家族を守るための知恵を蓄えること。それこそが、この不透明な時代を生き抜く唯一の手段である。
