「自分のものではない」と考える訓練──エピクテトスに学ぶ喪失との向き合い方
喪失は避けられない
私たちの人生には、必ず「失う瞬間」が訪れます。大切な物が壊れること、健康を損なうこと、そして大切な人との別れ。どれも避けて通れません。
ストア派の哲学者エピクテトスは、こうした現実に備えるための心の訓練を説きました。
「喪失の悲しみを味わうたび、失ったものを自身の一部ではなく、割れやすいグラスのように考えよ」
つまり、失ったときに心を守るには、あらかじめ「それはもともと自分のものではなかった」と理解しておくことが大切なのです。
ローマの凱旋式に学ぶ「忠告の声」
古代ローマでは、戦争に勝利した将軍を称える凱旋式が行われていました。市民の視線が栄光の将軍に注がれるなか、将軍のすぐ後ろに控えた補佐官が耳元でささやいたと言われます。
「お忘れなく、あなたもいつかは死ぬのです」
最高の栄誉に包まれている瞬間でさえ、必ず終わりが来る。栄光も富も地位も永遠ではない──そのことを忘れないようにという警告です。私たちもまた、日常の中で「これは永遠ではない」と心に言い聞かせることで、喪失の痛みを和らげられるのではないでしょうか。
「自分のものではない」と考えることの意味
私たちは大切なものを「自分の一部」と考えてしまいがちです。子供や伴侶、友人、仕事、地位や財産。しかし、それらは本質的に「自分のもの」ではありません。一時的に与えられ、やがて去っていく存在です。
この理解があるかないかで、喪失への耐性は大きく変わります。無理に「失いたくない」と握りしめるほど、失ったときの苦しみは増すのです。
喪失に備えるための3つの実践
- 物に対して:「これは割れやすいグラスだ」と意識して使う。スマホや家具も、永遠ではないと理解する。
- 人間関係に対して:「最愛の人も永遠ではない」と心に刻む。そのことで、今この瞬間をより深く味わえる。
- 日常の出来事に対して:成功や幸福も「一時的な贈り物」として受け止める。そうすれば、去った後も心を乱さずに済む。
無常を受け入れる強さ
「喪失とは、この上なく恐ろしいものだ」とエピクテトスは言います。確かに、愛する人を失う悲しみを完全に避けることはできません。しかし、「自分のものではなかった」と理解していれば、その痛みを少しでも和らげることができます。
知らぬふりをしても喪失はやってきます。それならば、あらかじめ心を整えておくほうが賢明です。すべては一時的に与えられたもの──そう意識することが、心を自由にし、困難を乗り越える力になるのです。
まとめ
人生の中で私たちが失うものは数え切れません。しかし「自分のものではない」と考える習慣を身につければ、喪失の苦しみを少しずつ和らげられます。これは冷たい諦めではなく、むしろ「今をより大切にするための智慧」です。
永遠に続くものは何ひとつない。だからこそ、今ここにあるものを深く味わい、感謝して生きる。その姿勢が、エピクテトスの教えが現代に伝える大切なメッセージなのではないでしょうか。
