「祭壇の上では皆同じ」──マルクス・アウレリウスに学ぶ比較しない生き方
「祭壇の上では皆同じ」という視点
マルクス・アウレリウスは『自省録』の中でこう書きました。
「われわれはまるで、同じ祭壇の上に落ちる、たくさんの香の粒のようだ。早く灰になる者もいれば、遅い者もいるが、何の違いもない」
香の粒が燃える速さが違っても、最終的には同じ灰になる。これは、人間の寿命や財産、能力の差に対するたとえです。早いか遅いか、多少の多い少ないがあっても、最終的な運命は同じだという冷静な事実を示しています。
比較が生む不幸
「君と世界一の金持ちとの違いは何だろう? 一方はもう一方より少しばかり多く金を持っている」
「君と世界一の年寄りとの違いは何だろう? 一方はもう一方より少しばかり長く生きている」
財産や寿命、背の高さ、知能、運動能力──どれを取っても人と人の差は「程度の違い」に過ぎません。しかし、私たちは他人の持ちものを羨み、「あの人のように生まれていたら」と考えてしまうことがあります。その結果、自分の現状に不満を抱き、心が落ち着かなくなってしまうのです。
SNS時代に強まる「比較の罠」
現代社会ではSNSを通じて、他人の生活が絶えず目に入ってきます。旅行、仕事、家庭、健康、容姿……「隣の芝生は青い」という感覚が刺激され、比較によるストレスはかつてないほど増大しています。
しかし、マルクス・アウレリウスの言葉を思い出すと、これらの違いは本質的なものではありません。どれほどの富や名声を得ても、人は最終的に同じ結末を迎える。ならば、他人の持つものを羨むことにどれほど意味があるでしょうか。
比較しないための3つのヒント
- 他人の成果を「参考」にとどめる:羨望や嫉妬ではなく、自分の成長のヒントとして見る。
- 自分の軸を持つ:何を大切に生きるかを明確にすると、他人との比較が減る。
- 有限性を意識する:人生には終わりがあると自覚することで、今ここに集中しやすくなる。
悲観でも楽観でもなく「事実」
このマルクス・アウレリウスの一節を、悲観的だと感じる人もいれば、楽観的だと受け取る人もいます。ですが実際はどちらでもなく、ただの事実です。「人はいつかこの世界を去る」ということ。だからこそ、つまらない違いに心を奪われず、今やるべきことに力を注げというメッセージが含まれているのです。
まとめ
私たちは皆、同じ祭壇の上にある香の粒のような存在です。燃える速さや持ちものが違っても、最後は同じ灰になります。ならば、その過程で他人を羨むより、自分自身の時間とエネルギーを大切に使うほうが賢明です。
比較に疲れた現代人こそ、マルクス・アウレリウスの言葉に耳を傾けてみてください。そこには、違いに縛られずに生きるためのヒントが詰まっています。
