今日が最後だと思って生きる──セネカに学ぶ「一日一生」の心構え
「今日が最後だと思って生きる」という意味
セネカは『倫理書簡集』の中でこう述べています。
「とうとう人生の最期を迎えたかのように、いつも心構えをしておこう。何事も先送りせぬように。日々、人生の帳尻を合わせるのだ……一日一日、人生の仕上げをして生きる者は、けっして時間に不足することがない」
「今日が最後だと思って生きる」という言葉は決まり文句としてよく耳にしますが、実践する人は少ないものです。しかしセネカは、世界の終わりを楽しむために放縦に生きよと言っているわけではありません。むしろ、理性にかなった「今を大切にする生き方」を説いているのです。
戦場に赴く兵士のように
この生き方を理解するために、戦場へ向かう兵士を例にしてみましょう。兵士たちは、生きて帰れるか分からない状況の中で、次のように行動します。
- 身辺を整理し、未処理の用事を片付ける
- 家族に愛していると伝える
- 無駄な口論やどうでもよいことへの執着を手放す
そして、出発の朝を迎えるとき、五体満足で帰れることを祈りつつ、最悪の事態も覚悟して前に進むのです。この姿勢は、まさにセネカが説く「今日が最後だと思う」生き方に通じます。
先送りをやめる勇気
多くの人は「いつかやろう」と思いながら日々を過ごします。しかし「いつか」は来ないこともあります。やりたいこと、大切な人に伝えたい言葉、未解決の問題──それらを今日に片付けることは、死を意識するからこそ可能になります。
セネカが言う「日々、人生の帳尻を合わせる」とは、まさにこのことです。未完了のまま翌日に持ち越さない習慣が、心に平穏をもたらします。
現代に活かす3つの実践
- 感謝や愛を伝える:家族や友人に、思っていることを今日伝える。
- 小さな用事を先送りしない:「後でやろう」をやめ、その日のうちに終わらせる。
- 不要な争いを避ける:カリカリせず、どうでもよいことには執着しない。
こうした小さな実践を積み重ねることで、「今日が最後だ」と思って生きる姿勢が自然と身についてきます。
メメント・モリ──死を意識する智慧
「死を思え(メメント・モリ)」というラテン語の言葉があります。これは死を恐れよという意味ではなく、死を意識することで今を真剣に生きよという智慧です。
死を意識することは、私たちから人生の喜びを奪うどころか、むしろ「今ここ」の価値を引き上げます。今日が最後かもしれないと思えば、つまらない怒りや嫉妬に時間を浪費することはなくなるでしょう。
まとめ
「今日が最後だと思う」というのは、派手な行動や刹那的な楽しみに走ることではありません。むしろ、人生の終わりを意識するからこそ、愛を伝え、やるべきことを終え、心を整えて一日を終えることです。
セネカの言葉を胸に、今日一日を「人生の仕上げ」として生きてみましょう。そうすれば、どんな一日も豊かで意味のあるものになるはずです。
