己を捨てよ──「人はゆっくり死にゆく存在」に学ぶ、今を生きる力
「死にゆく人間のように生きる」という意味
マルクス・アウレリウスは『自省録』でこう述べています。
「何をするにしろ、言うにしろ、意図するにしろ、死にゆく人間のようにするがよい」
この言葉は、死を恐れよという意味ではありません。むしろ「人は誰でも死に向かっている」という現実を直視し、そのことを意識することで、行動や言葉、考え方をより真剣にするための助言です。
「不治の病」はすでに始まっている
「もし明日、ガンだと分かったらどうしますか?」という問いかけを聞いたことがあるでしょう。これは、余命を宣告されたときに人がどれだけ生き方を変えるかを考えさせるものです。
しかし、よく考えてみれば、私たち全員がすでに「不治の病」にかかっています。アメリカの文芸批評家エドマンド・ウィルソンが言ったように、
「死とはけっして外れることのない予言である」
人は皆、生まれながらにして死刑宣告を受けているのです。過ぎていく一瞬一瞬は、二度と戻らないものです。
死を意識することで変わること
この事実に気づくと、私たちの行いや言葉、考え方は根底から揺さぶられます。つい先送りしてしまうこと、つまらないことで争うこと、怒りや嫉妬に時間を費やすこと……それらがいかに無意味かを理解できるようになります。
死を意識することは暗く重い話ではなく、むしろ人生に光を当てることです。「今日しかない」と思えば、言葉は優しくなり、行動は誠実になり、時間の使い方が変わります。
現代に活かす3つの実践
- 今日やるべきことを先送りしない:愛を伝える、やりたいことを始める、謝罪や感謝をするなど、「後でやろう」をやめる。
- つまらない争いを避ける:怒りや嫉妬に時間を使うことをやめ、本当に大切なことに集中する。
- 「一日一生」の姿勢を持つ:一日を人生の最終章と考え、その日のうちに心残りをなくすように行動する。
己を捨てるということ
「己を捨てよ」というのは、自分を犠牲にすることではありません。死を意識することで、自分の欲望や執着を手放し、より自由に生きるという意味です。
「自分」という狭い視点にとらわれるのをやめることで、他者に対しても寛容になり、より広い視野で物事を考えられるようになります。
まとめ
「人はゆっくり死にゆく存在」であるという現実は避けられません。しかし、それを意識することで、逆に人生は鮮明になり、時間の使い方が研ぎ澄まされます。
マルクス・アウレリウスの言葉を胸に、今日という一日を「最後の一日」と思って生きてみましょう。そこにこそ、死を意識することで初めて得られる、真の自由と充実があるのです。
