自分の意見を表明する|セネカとエマソンに学ぶ「受け売りを超える勇気」
ローマの哲学者セネカは『倫理書簡集』の中でこう警告しました。
「老人が、あるいは老境が見えてきた人が、ノートに書き留めた知識しかもたないのは恥ずべきことだ。ゼノンはこう言った……それで君はどう思うのか? クレアンテスはこう言った……やはり君はどう思うのか? いつまで他人の主張に従うつもりかね? 自主性を発揮して、自分の意見を――後生の者がノートに書き留めたくなるようなものを――述べたまえ。」
この言葉は、単なる受け売りで終わるのではなく、自分自身の経験や思考から生まれた意見を持つべきだ、という強いメッセージです。
引用に頼ることの安心感と危うさ
私たちはつい、偉人や専門家の言葉を引用して話をしたくなります。
それは権威の後ろに隠れることで、自分の意見を守れるからです。
- 「アリストテレスが言ったから正しい」
- 「〇〇の有名な本に書いてあるから間違いない」
こうした姿勢は一見すると賢そうに見えますが、結局は「自分の言葉」を持っていないということでもあります。
アメリカの思想家ラルフ・ウォルドー・エマソンも、引用に頼る風潮に強い不満を抱きました。彼はこう書いています。
「私は引用を憎む。君の考えを聞かせてくれ。」
偉人たちの言葉も、もとは「誰かの意見」
セネカやエマソンが強調したいのは、偉人の金言も最初は「誰かが勇気をもって述べた意見」にすぎない、ということです。
- ゼノンの思想も、彼自身の経験と観察から生まれた
- クレアンテスの教えも、模倣ではなく独自の探求から導かれた
- エマソンの言葉も、世の中に迎合しない孤独な思索から絞り出された
つまり、彼らが残した言葉は、最初から権威だったのではなく、自分自身の声を表明した結果として後世に響き続けているのです。
自分の意見を言うのはなぜ難しいのか?
とはいえ、自分の意見を堂々と述べることは簡単ではありません。
- 批判されるのが怖い
- 間違っているかもしれないと不安になる
- 権威ある人と違う意見を持つことに勇気が必要
こうした理由から、多くの人は「安全な引用」に逃げてしまいます。
しかし、本当の意味で他人の言葉を理解するには、それを咀嚼し、自分の経験や価値観と照らし合わせて「自分はどう思うか」を言葉にすることが欠かせません。
あなたの経験には価値がある
自分の意見を表明することは、偉大な哲学者や作家だけに許された特権ではありません。
誰もが人生の中で独自の経験を積み、それを通して得た知恵を持っています。
- 苦しい状況をどう乗り越えたか
- 喜びや成功の瞬間に何を学んだか
- 人間関係の中で気づいたことは何か
これらは本や引用には載っていない、あなただけの知恵です。
その声こそが、他人にとって価値あるものになる可能性があります。
後世に残るのは「あなたの声」
セネカは「後生の者がノートに書き留めたくなるようなものを述べよ」と言いました。
つまり、あなた自身の考えが、誰かの未来を変える可能性があるのです。
言葉でも、行動でもかまいません。
自分の声を恐れずに表明することが、人生における最大の表現なのです。
まとめ ― 引用から一歩踏み出す勇気を
- 引用は便利だが、自分の声を持たなければ「受け売り」で終わってしまう
- 偉人の言葉も、もとは「勇気ある個人の意見」にすぎない
- 自分の経験と知恵をもとに意見を述べることに価値がある
- その声が、未来の誰かを励ます力になる
セネカとエマソンの挑戦状を受け取りましょう。
今日から、自分の言葉で語り、自分の行動で示していくのです。
