記憶されることについて|マルクス・アウレリウスが語る名声のはかなさ
ローマ皇帝マルクス・アウレリウスは『自省録』にこう記しました。
「すべては消え去っていく。記憶される者も、記憶する者も。」
この言葉は、名声や記憶のはかなさを鋭く突きつけます。
どれほど偉業を成し遂げ、歴史に名を残したとしても、やがて人々の記憶は薄れ、語り継ぐ者もいなくなるのです。
ニューヨーク公共図書館に刻まれた言葉
ニューヨークの42丁目にそびえる壮麗な公共図書館。
その前の「図書館通り」には、歴史的な作家や思想家たちの言葉を刻んだ金色のプレートが並んでいます。
そのひとつが、マルクス・アウレリウスの「すべては消え去っていく」という一節です。
この図書館自体も、数々の有名人や慈善家の寄付と努力の積み重ねで成り立っています。
しかし、建物に関わった建築家ジョン・マーヴィン・カレールの名を知る人はどれほどいるでしょうか。
寄贈者であるサミュエル・ティルデンやジョン・ジェイコブ・アスターの名を思い出せる人は、現代にどれだけ残っているでしょうか。
かつては大統領や州知事、市長までが式典に参加し、世紀の偉業として称えられた建物ですら、いまや多くの来館者は「ライオン像のある図書館」としか認識していないのです。
名声も記憶も長くは続かない
図書館通りの金色のプレートには、かつて文壇を賑わせた偉大な作家たちの言葉も刻まれています。
しかし、その多くの名前を、現代の人々は知らないかもしれません。
彼らの著作もまた、忘却の彼方に消え去りつつあります。
かつては巨匠、天才、大富豪と称された人々も、やがて歴史の中に埋もれてしまいます。
そして、それを記憶していた人々もまた消えていく。
マルクスの指摘は無情でありながら、真実です。
では、何のために生きるのか?
ここで私たちは思わざるを得ません。
「どうせ忘れられるのなら、努力や挑戦には意味がないのではないか?」と。
しかし、ストア派の答えは明確です。
- 記憶されることを目的に生きるのではない
- 名声や評価は自分でコントロールできない
- 大切なのは「今この瞬間を正しく生きること」
つまり、記憶されるかどうかではなく、自分自身の原則に従い、誠実に生きることそのものが価値を持つのです。
一日をどう生きるかがすべて
マルクス・アウレリウス自身も、現代の多くの人々にとっては名前だけの存在です。
ニューヨーク公共図書館に刻まれた彼の言葉も、多くの通行人に気づかれず踏み越えられていきます。
しかし、だからといって彼の人生が無意味だったわけではありません。
彼が「自省録」に書き残した言葉は、2000年を経て、今こうして私たちを励まし、導いているのです。
そして、私たち一人ひとりの人生も同じです。
記憶されるかどうかは問題ではなく、「今日一日をどのように生きるか」がすべてなのです。
まとめ ― 記憶に残るかではなく、今をどう生きるか
- どれほど偉業を成しても、やがて人々の記憶からは消える
- 記憶されることを目的とするのは、はかなく不確かな動機である
- 本当に大切なのは、記憶されるか否かではなく「今をどう生きるか」
- 名声を求める代わりに、自分の原則と誠実さを守ることが、人生に意味を与える
私たちは皆、せいぜい一日しか続かない存在かもしれません。
しかし、その一日をどう生きるかによって、人生の価値は決まります。
