💬 「うぬぼれるのは人の性」──フランクリンが語る“自慢と虚栄心の心理学”
■ 「自慢するわけではないが……と言いながら自慢する人」
フランクリンはこの章で、人間の誰もが持つ“虚栄心”について率直に語ります。
「たしかに、『自慢するわけではないが……』とかなんとか切り出しながら、
そのあとすぐに自慢話が続かない人など、めったにいるものではない。」
──この観察の鋭さとユーモア、まさにフランクリン節です。
私たちは、他人の自慢話にはうんざりしながら、
自分の話になると、つい同じことをしてしまう。
つまり、**「人のうぬぼれは不快、自分のうぬぼれは正当」**という、
誰もが陥る小さな矛盾をフランクリンは軽やかに笑っているのです。
■ 「虚栄心」は人間の本能である
フランクリンは、自慢やうぬぼれを「悪」として切り捨てません。
むしろ、**「それは人間らしさの一部だ」**と受け止めています。
「たいていの人は、他人の自慢話はいやがるくせに、
程度に違いはあっても自分自身が虚栄心をもち合わせているものだ。」
この一文には、フランクリンの深い人間理解がにじみます。
虚栄心とは、「自分を認めてほしい」という自然な欲求の表れ。
誰もが持っているからこそ、それを完全に排除することは不可能です。
むしろ重要なのは、
自分の中に虚栄心があることを自覚し、上手に扱うこと。
それが、成熟した自己理解につながるとフランクリンは考えます。
■ 「自慢話も、実りあるものだと考える」
フランクリンの魅力は、道徳家でありながら“寛容”であることです。
「自慢話をしている本人だけでなく、それを聞かされている人たちにとってもそうなのだが、
自慢話は実りあるものだと自分を納得させて、公平で寛大な態度で接したいと思う。」
ここに彼の知恵が光ります。
たとえば、誰かが延々と自慢話をしていても、
「この人も承認を求めているのだな」と理解すれば、腹も立たない。
あるいは、話の中から何か学べることを探してみる。
つまりフランクリンは、
**「人間の弱さを許容するユーモアと寛容さ」**を教えているのです。
■ 「虚栄心を感謝する」──成熟した心の余裕
フランクリンは最後に、意外な言葉で締めくくります。
「虚栄心を与えていただいたことは感謝こそすれ、
かならずしもばかげた話ではないわけなのだ。」
ここがこの章の核心です。
虚栄心を「悪徳」と見るのではなく、
それを通して成長し、社会の中で努力する“原動力”として捉える。
たとえば──
- よく見られたいという気持ちが、清潔や礼儀を保たせる
- 他人に認められたいという思いが、仕事の質を高める
つまり、虚栄心も使い方次第では「善」になる。
フランクリンは、そんな人間の矛盾をまるごと肯定しているのです。
■ 「人間らしさ」を受け入れるのが成熟である
この章を現代の文脈で読むと、
SNS時代の「承認欲求」とのつきあい方に通じます。
- 「見せたい自分」を演出する
- 「いいね」を求めてしまう
- 「誰かに認められたい」と思う
それらは決して恥ずかしいことではなく、
「人間である」という証拠なのです。
ただし、他人の虚栄心にも寛容であること。
そこにフランクリン流の“成熟”があります。
■ 現代に活かす「虚栄心とのつきあい方」3箇条
- うぬぼれを否定せず、観察する
「いま、自分は認められたいと思っている」と自覚するだけで、冷静になれる。 - 他人の自慢話には、ユーモアで返す
聞きながら「この人の努力を称えよう」と考えると、心が軽くなる。 - 虚栄心を“行動の燃料”に変える
「もっと良く見せたい」ではなく、「もっと良くなりたい」へ転化する。
■ まとめ:「うぬぼれを笑える人が、いちばん謙虚である」
ベンジャミン・フランクリンの言葉
「うぬぼれるのは人の性。」
この一言は、人間の本質を見抜いた上での深い共感と優しさです。
- 虚栄心は、誰の中にもある。
- それを責めるより、うまく利用すればよい。
- 自分も他人も、笑って受け入れよう。
フランクリンの言葉を現代風に言えば、
「虚栄心を否定するより、上手に笑い飛ばせる人が賢い。」
人間の“うぬぼれ”を笑いながら生きる。
それこそが、フランクリンが晩年にたどり着いた“心の成熟”なのです。
