古代ローマの哲学者セネカは『倫理書簡集』の中でこう語りました。
荒れ狂う水に頭から飛び込んでいく人間には感心しない。真の賢者は波乱に耐えはしても、進んでそれを選びはしない。争いよりも平和を選ぶのだ。
つまり、困難や争いを「避けて通れないときに受け入れる」ことは立派ですが、自ら進んで混乱に飛び込む必要はない、という教えです。
ルーズベルトの「闘技場に立つ者」
セオドア・ルーズベルト元大統領の有名な演説「闘技場に立つ者」は、今でも勇気を鼓舞する言葉として引用されます。彼は「埃と汗と血で顔が汚れ、勇敢に闘う者」を称え、傍観者の批判など気にするなと語りました。
しかし、ルーズベルトの生涯を振り返ると、彼自身が「争いを求め続けた人」であったことがわかります。
- 大統領退任後に再び選挙へ挑み、弟子と対決して惨敗
- 暗殺されかける
- アフリカやアマゾンを探検し、命の危険にさらされる
- 59歳にして第一次大戦への従軍を志願
彼は偉大な人物であった一方、常に新しい戦いや挑戦に駆り立てられる性格でもありました。
現代人も「戦い」を求めがち
私たちもまた、じっとしていると不安になり、あえて争いや問題に飛び込んでしまうことがあります。
- 職場で無用な口論に加わる
- 不要な競争に身を投じる
- 周囲と比べて焦り、意味のない挑戦を繰り返す
本当は平和に過ごせる状況でも、不安や欲望に突き動かされて「闘技場」に立ってしまうのです。
平和を選ぶことは「逃げ」ではない
セネカの言うように、真の賢者は争いを避けて平和を選びます。これは臆病でも逃げでもなく、「自分のエネルギーを本当に価値あることに使う」という勇気です。
- 争う理由が正しいか?
- その戦いは避けられないか?
- 自分が平和を選んでも大きな問題はないのでは?
この問いを持つだけで、多くの無用な争いを避けることができます。
「正しい理由」で闘技場に立つ
もちろん、人生には闘わなければならない場面もあります。仕事で責任を果たすとき、家族を守るとき、信念を貫くとき…。
大切なのは、「争うこと自体」が目的にならないようにすることです。
セネカの言葉を現代に置き換えるなら、 「本当に意味のある戦いだけを選び、それ以外は平和を選べ」 ということです。
まとめ
争いごとを求めるのは勇敢ではなく、むしろ不安や衝動に振り回されている証拠です。
セネカが説いたように、私たちは「波乱を避ける賢さ」を持つべきです。
平和を選ぶことは弱さではなく、強さの表れ。
そして、闘技場に立つときは「正しい理由」があるときだけ――その覚悟が、私たちを真に強くしてくれるのです。