『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』に学ぶ、“全身全霊社会”から抜け出すためのヒント
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』に学ぶ、“全身全霊社会”から抜け出すためのヒント
「最近、本を読めなくなった」
「昔は読書が好きだったのに、仕事を始めてからページが進まない」
そんな悩みを抱えている人は、きっと少なくないでしょう。
文芸評論家・三宅香帆さんの著書『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社)は、この“読書ができなくなる現象”を社会学的・文化的に解き明かした一冊です。
著者自身、大学院を出て会社員として働いたとき、本を読む余裕がなくなった経験を持つと言います。
「スマホを触る時間はあるのに、本を読む時間がないのはなぜ?」という問いを突き詰めた先に見えてきたのは、現代の働き方が私たちの“文化”を静かに奪っているという現実でした。
働くと「文化的な時間」が奪われる理由
本書の核心にあるのは、「労働」と「文化」の関係性です。
三宅氏は言います。
“あなたの『文化』は、『労働』に搾取されている。”
ここでいう「文化」とは、本を読むことだけではありません。
好きな映画を観ること、推しのライブに行くこと、家族とゆっくり過ごすこと——。
つまり、「自分の人生を豊かにする時間」そのものです。
けれど、現代社会では多くの人が、そうした時間を「仕事の疲れ」に奪われています。
仕事のための時間だけでなく、仕事のための“思考”まで支配されることで、心の余白が失われているのです。
「仕事で自己実現する」という幻想
2000年代以降、「好きなことを仕事に」というスローガンが当たり前になりました。
しかし三宅氏は、ここにこそ落とし穴があると指摘します。
仕事そのものがアイデンティティ化し、「自己実現=労働」という図式が社会に染みついた結果、私たちは“労働以外の喜び”を見失いがちになったのです。
本を読むことは、直接的には仕事に役立たないかもしれません。
でも、読書によって得られるのは「自分の外側にある世界」「他者の文脈」との出会い。
それは、情報ではなく“ノイズ”を含んだ知識です。
現代社会では、この“ノイズ”こそが軽視されています。
ノイズのない情報、つまり効率的で役に立つ知識だけが好まれるようになった結果、本を読むこと自体が「非効率」「生産性が低い」行為として遠ざけられているのです。
読書は「ノイズ」を取り戻す行為
本書の面白い点は、読書を「ノイズ」として再定義しているところです。
ここでいうノイズとは、「自分と直接関係のない情報」「予想外の出会い」のこと。
たとえば、知らない時代の小説を読む。
世代の違う人の好きな音楽を聴く。
その“自分から離れた文脈”に触れることが、実は私たちの世界を広げるのです。
反対に、今の自分に関係ある情報ばかりを追い求めると、世界はどんどん狭くなります。
SNSで「自分の好みに最適化された情報」だけを見ていると、他者の文脈が入ってこなくなる。
その結果、私たちは本を読めなくなり、“ノイズを拒む社会”を生きてしまうのです。
「半身で働く」という新しい生き方
では、どうすれば“本を読む余裕”を取り戻せるのでしょうか?
三宅氏が提案するのが、「半身で働く」という考え方です。
これは、社会学者・上野千鶴子さんが提唱した言葉から引用されています。
“全身全霊で働く”のではなく、身体の半分は仕事に、もう半分は家庭・趣味・文化に使う。
この「半身の働き方」は、現代社会へのささやかな反抗でもあります。
仕事だけに自分を明け渡さない。
生きるための“もう半分”を、自分で守る。
読書もその一部です。
本を読むことは、仕事のための情報収集ではなく、「自分を取り戻す時間」。
効率や成果から離れ、他者や過去の文脈に触れる時間を持つこと。
それが、働きながら文化を楽しむ最初の一歩なのです。
「全身全霊社会」から「半身社会」へ
哲学者ビョンチョル・ハンの『疲労社会』では、現代の人々は「自分で自分を搾取している」と語られています。
企業に命令されて働くのではなく、自分の中の「もっと頑張れる」という声に追い立てられて疲弊していく——。
この構造が、“働きすぎても止まれない社会”を生んでいるのです。
三宅氏の結論は明快です。
「全身全霊で働く時代はもう終わり。これからは“半身社会”へ。」
半身で働くことを「怠け」と感じてしまうのは、全身全霊を求める社会の呪いにすぎません。
働く時間も、自分の文化的な時間も、どちらも自分の人生の一部として扱う——。
それこそが、AI時代における“人間らしい働き方”なのです。
まとめ:読書とは、自分の「もう半分」を取り戻すこと
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、単なる読書論ではありません。
それは、「私たちはなぜ働くのか」「どこまでを仕事に明け渡すのか」という、現代人の根源的な問いを投げかける本です。
働きながらも、趣味を楽しみたい。
本を読みたい。
推しを追いたい。
そんなささやかな願いを“わがまま”ではなく“文化”として肯定してくれる。
この本は、そんな優しさに満ちた現代のリベラルアーツ書です。
