「自分が正しい」と思い込む危うさ:フランクリンの言葉に学ぶ、柔軟な思考のすすめ
アメリカ建国の父、ベンジャミン・フランクリンが81歳のときに行った演説があります。憲法制定会議の最終日に体調不良で出席できず、代理人に原稿を読み上げさせたものです。
彼はこう述べました――「私はこの憲法に全面的に賛同しているわけではない。だが、今後も賛同しないと断言する自信もない。なぜなら、私は長く生きる中で、かつて正しいと思っていたことが誤りであったと気づく経験を幾度もしてきたからだ」。
この言葉には、成熟した知性の核心があります。フランクリンは自らの限界を認め、思考の柔軟さこそが真の賢さであると示しています。私たちはどうしても「自分の意見こそ正しい」と信じがちです。しかし、その思い込みが対立を生み、対話を閉ざし、成長を止めてしまうことがあります。
■「絶対に正しい」という思い込みがもたらす弊害
仕事でも人間関係でも、「自分の考えこそ正しい」と主張し続ける人ほど、衝突を起こしやすいものです。議論がいつの間にか「勝ち負け」になり、建設的な意見交換ができなくなる。結果として、チームの中で信頼を失い、孤立してしまうことも少なくありません。
フランクリンが指摘したように、宗派や組織に属する人々が「自分たちは間違っていない」と思い込むと、他者を誤りだと決めつける傾向が強くなります。現代のSNSでも同じことが起きています。自分と異なる意見を「敵」とみなし、攻撃する。そんな風潮が広がれば、社会全体が分断されてしまいます。
■「疑う力」は、成長する力
フランクリンは「歳を重ねるほど、自分の判断に疑いを抱くようになった」と述べています。これは決して自信喪失ではありません。むしろ成熟の証です。
人は知識や経験を積むほど、世界の複雑さを理解し、「一つの正解など存在しない」と気づきます。その気づきが、他者への寛容さを生み、新しい学びを受け入れる余地を広げるのです。
たとえば職場で新しいアイデアが提案されたとき、「そんなの無理だ」「昔からこのやり方でやってきた」と即座に否定するのは簡単です。しかし、少し立ち止まり「なぜそう考えるのか?」と耳を傾けることで、自分では見えなかった可能性が開けることがあります。これこそ「疑う力」がもたらす成長の瞬間です。
■意見の違いを「対立」ではなく「豊かさ」として受け入れる
フランクリンの演説の本質は、「意見の違いを恐れない」姿勢にあります。彼は、憲法の内容に完全には賛成できなかったものの、「完璧を求めるよりも、協調を優先すべきだ」と語りました。完璧主義ではなく、合意形成のための柔軟さを選んだのです。
私たちの職場や家庭でも同じことが言えます。誰かの意見に全面的に賛同できなくても、その人の考え方に一理あるかもしれない、と一度立ち止まる。そうした姿勢が、健全なコミュニケーションを生みます。意見の違いは「対立の火種」ではなく、「視野を広げるチャンス」なのです。
■まとめ:謙虚な知性を持ち続けよう
フランクリンの言葉は、200年以上たった今もなお鮮やかに響きます。
「私は間違っているかもしれない」と考える勇気が、成熟した社会の土台になる。
私たちはつい、自分の考えを守るために他人を批判したり、異なる意見を遠ざけたりしてしまいます。しかし、真に知的であるとは、自分の限界を認め、学び続けることではないでしょうか。
人間関係においても、チームでの議論においても、「正しさの押しつけ」ではなく、「互いの違いを尊重する姿勢」を大切にしたいものです。フランクリンのように、「今は賛同できないが、いつか理解できるかもしれない」と考えられる心の余白を持つ――それが、豊かな人生と良好な関係を築く第一歩なのです。
