自己啓発

ベンジャミン・フランクリンの「13の徳」その8〜13:心を整え、人格を完成させるための後半6つの教え

taka

前回に引き続き、ベンジャミン・フランクリンの『自伝』に記された「13の徳」の後半部分、8〜13の徳を紹介します。
前半(1〜7)が「自己管理」や「行動の習慣化」に重点を置いていたのに対し、後半では心の成熟と人間関係のあり方に焦点が当てられています。
フランクリンが人格的成長をいかに段階的に捉えていたか、その体系的な思考を感じ取ることができます。


■ 8. 公正 ― 他者への思いやりと社会的責任

「他人の権利を侵害して損害を与えるな。自分の義務を怠って、世の中の利益を損なうな。」

「公正(Justice)」は、フランクリンの社会観を象徴する徳です。
彼は個人の幸福を、社会全体の調和と切り離して考えませんでした。
つまり、「人に迷惑をかけない」だけでなく、「社会の一員としての義務を果たすこと」も公正のうちに含まれます。

現代社会では、SNS上の発言や情報発信も「公正さ」が問われます。
誤情報の拡散や無責任な批判が簡単にできる今こそ、**「公正な行動=責任ある行動」**を心がけたいものです。
小さな不正を正す勇気もまた、公正の一部です。


■ 9. 中庸 ― 感情をコントロールする力

「極端を避けよ。怒って当然だと思う害を受けても、怒りは抑えて我慢せよ。」

「中庸(Moderation)」とは、アリストテレスが唱えた古代哲学の徳でもあります。
フランクリンはこの思想を取り入れ、感情の極端さを避ける冷静さを重視しました。

怒りや悲しみといった感情を“感じない”ことではなく、**「感情に支配されない」**ことが中庸の本質です。
現代でいえば、SNSでの衝動的な反応や、職場でのストレス対応などに通じます。
「怒るのではなく、理解しようとする」姿勢こそが成熟した大人の対応です。
中庸は、冷静な判断と穏やかな人間関係を築くための基本姿勢と言えるでしょう。


■ 10. 清潔 ― 心の整理にもつながる生活習慣

「身体、衣服、住居の不潔は、いっさい黙認しないこと。」

一見すると単純な習慣のようですが、フランクリンは「清潔(Cleanliness)」を心の状態と深く結びつけていました。
汚れた環境は思考を濁らせ、だらしない習慣は自己尊重の低下につながる。
だからこそ、身の回りを整えることは、自分を大切にする第一歩だと考えたのです。

現代の心理学でも「部屋の乱れは心の乱れ」と言われます。
机を片づける、服を整える、掃除をする――こうした小さな行為が、心の安定や集中力を支える。
清潔とは、単なる美徳ではなく、「自己管理の延長線上にある心の衛生」なのです。


■ 11. 平静 ― 動揺しない心を持つ

「ささいなことや日常茶飯事で心を乱されるな。避けられないアクシデントにも動揺するな。」

フランクリンの人生は、成功ばかりではなく、失敗や批判にも満ちていました。
それでも彼が前向きであり続けたのは、この「平静(Tranquillity)」の徳を重んじたからです。

私たちは、日々のトラブルや他人の言動に心を揺さぶられがちです。
しかし、どんなに準備しても予期せぬ出来事は起こる。
それを「自分のせい」ではなく、「人生の一部」と受け止めることで、心のバランスが保たれます。

平静とは、無関心ではなく、**「現実をありのままに受け止める強さ」**です。
マインドフルネスや禅の思想にも通じるこの徳は、現代のストレス社会にこそ必要な心の技術です。


■ 12. 禁欲 ― 自制による自由

「性的快楽の追求は、健康のため、子孫を残すために限定し、それ以外にはめったに行わないこと。」

この「禁欲(Chastity)」という言葉には、当時の道徳観が反映されています。
しかし本質的には、「快楽や欲望に支配されない生き方」という自制心の哲学です。

フランクリンは、節制と同じく、感情や欲望のコントロールが理性的な生活の鍵だと考えました。
現代に置き換えるなら、SNSやゲーム、買い物、過食といった“デジタル依存”にも通じます。
禁欲とは、「欲を抑える」ことではなく、「本当に大切なことにエネルギーを使う」こと。
自分を律することで、自由を得る――それがこの徳の真意です。


■ 13. 謙譲 ― 成熟の頂点にある心の姿勢

「イエスとソクラテスを見習うこと。」

フランクリンが最後に置いた徳が「謙譲(Humility)」でした。
彼は、若い頃の自信家だった自分を反省し、人生の終盤で「謙虚さこそ最高の知恵」だと悟ります。

謙譲とは、自己否定ではなく、他者を尊重し、学び続ける姿勢のこと。
成功すればするほど、周囲の支えや偶然の力に感謝できる人こそ、本当に成熟した人です。

フランクリンは「完全な謙虚さを得ることは難しい」と認めつつも、「努力すること自体が価値だ」と述べています。
それは、学び続ける限り人は成長できるという信念の表れでした。


■ まとめ:13の徳は「完璧」ではなく「方向性」

フランクリンの「13の徳」は、完全に守ることを目的とした理想主義ではありません。
彼自身、失敗を重ねながらも、習慣を点検し、修正し続けました。

大切なのは、「今日の自分は、昨日より少し良くなっているか?」と問い続けること。
徳とは、到達点ではなく“進むべき方向”なのです。

私たちもまた、完璧を目指す必要はありません。
公正でありたい、平静でありたい、謙虚でありたい――そう願い、日々の行動を少しずつ整えること。
それが、フランクリンの精神を現代に生かす最良の方法です。

スポンサーリンク
ABOUT ME
TAKA
TAKA
理学療法士/ビール
理学療法士として臨床に携わりながら、リハビリ・運動学・生理学を中心に学びを整理し発信しています。心理学や自己啓発、読書からの気づきも取り入れ、専門職だけでなく一般の方にも役立つ知識を届けることを目指しています。
スポンサーリンク
記事URLをコピーしました