83歳のフランクリンが訴えた“真の自由”──黒人支援と教育の力で幸福を広げる社会へ
「自由とは、与えられるものではなく、“行使できる力”のことである。」
アメリカ建国の父ベンジャミン・フランクリンが、83歳のときに発表した文章には、そんな信念が込められています。
彼は1789年、ペンシルヴァニア協会の代表として、奴隷制廃止と黒人支援を求める「国民への請願」を公表しました。
その中でフランクリンが訴えたのは、単なる「奴隷の解放」ではなく、
「自由を生きるための教育と機会を与えること」
でした。
■自由を「回復する」だけでは不十分
フランクリンは、すでに奴隷身分から解放された人々が直面していた現実を見ていました。
自由を得たとしても、読み書きができず、仕事の機会が少なく、貧困に苦しむ人が多かったのです。
彼はその状況を「形式上の自由にすぎない」と考えました。
だからこそ、請願書にこう書き加えたのです。
「勤勉の習慣を身につけ、才能や性別に応じた職業を持てるよう支援すること。
また、子どもたちに教育を与え、将来の幸福を確かなものにすること。」
それは、今日で言う“エンパワーメント(自立支援)”の思想でした。
単に鎖を解くだけでなく、生きる力を育てることこそ真の自由だとフランクリンは考えたのです。
■教育こそ、自由と幸福の架け橋
フランクリンが生涯を通じて信じていたのは、「教育は社会を変える力」であるということ。
彼は若い頃から図書館を設立し、教育機関を創設し、知の共有を広めてきました。
そして晩年、その理念はより広く、人種や身分を超えた「公共の幸福」へと発展します。
「教育は、自由を守るための盾であり、幸福を築くための道具である。」
彼にとって、黒人支援は慈善ではなく、社会全体の発展を促す公益事業でした。
教育と勤勉の文化が広がれば、人々が自立し、社会全体の繁栄が加速する。
それは、彼が一貫して信じた“勤勉と徳”の哲学の延長線上にあります。
■83歳の行動が教えてくれる「老いてなお社会に貢献する力」
驚くべきは、この請願書を発表したとき、フランクリンが83歳だったことです。
彼はすでに公職を退き、私生活に専念していてもおかしくない年齢でした。
しかし彼は、「社会の不正を放置してはならない」という信念のもと、筆を執りました。
その姿勢は、現代に生きる私たちにも大きな示唆を与えます。
社会の課題に対して「もう遅い」「関係ない」と言い訳せず、
最後まで“公共の幸福”のために動き続ける。
それが、フランクリンという人物の真骨頂でした。
■「幸福の増進」という言葉の重み
フランクリンはこの請願の結びで、こう記しています。
「この追加項目によって、公益を増大し、なおざりにされてきた同胞たちの幸福を増進するものと考えます。」
ここで注目すべきは、「黒人の幸福」ではなく「同胞の幸福」と書かれている点です。
彼にとって、人種や出自は関係ありませんでした。
すべての人が「人間としての幸福」を追求できる社会を理想としたのです。
この表現には、“私たち”という包括的な視点があり、
フランクリンのヒューマニズム(人間愛)の深さが表れています。
■まとめ:教育と徳が、真の自由を生む
フランクリンの83歳のメッセージは、今なお色あせません。
- 自由は、教育によって初めて意味を持つ
- 支援とは、相手を“自立”へ導くこと
- 真の幸福は、社会全体で共有するもの
彼は、黒人支援を通じて「教育」「勤勉」「公益」という生涯の信念を貫きました。
そして、その信念をもって人生の最後までペンを握り続けたのです。
現代に生きる私たちも、フランクリンのように問うべきでしょう。
「私たちは、誰かの自由を支えるために、何をしているか?」
