古代の知恵には科学がある──フランクリンが語る「経験を笑うな」の教え
「若い頃、プリニウスの『博物誌』を読んで、
『水夫が油を海に注ぐと波が静まる』という記述を笑ってしまった。」
──ベンジャミン・フランクリン(1773年)
しかし、その笑いはやがて尊敬と驚きに変わります。
フランクリンは晩年、自らの観察と実験を通じて、古代人の知恵の中に確かな科学的根拠があることを発見したのです。
■笑い飛ばしていた「油で波を鎮める」話
プリニウスの『博物誌』は、古代ローマの自然観察の百科事典。
その中には「船乗りが嵐の海に油を注ぎ、波を鎮めた」という記述があります。
若き日のフランクリンはそれを読んでこう思いました。
「そんな馬鹿な。波が油で静まるなんて迷信に決まっている。」
しかし後年、ある航海中に奇妙な光景を目撃します。
96隻の艦隊のうち、なぜか2隻だけが静かに航行していたのです。
理由を尋ねると、船長はこう答えました。
「厨房の排水溝から廃油が海に流れ出ているだけさ。」
まさにその瞬間、フランクリンは“あのプリニウスの話”を思い出します。
そして、科学者としての本能が目を覚ますのです。
■「信じない」ではなく「確かめる」
フランクリンはすぐに実験を計画しました。
水面に油を垂らし、波の動きを観察する──
その結果、薄い油膜が水面張力を変化させ、波の起伏を穏やかにすることを確認しました。
つまりプリニウスの観察は、決して迷信ではなく、
現代の物理学でも説明できる科学的現象だったのです。
フランクリンはこの発見を通じて、こう学びます。
「古代の人々の知恵には、経験的事実に裏づけられた真理がある。」
そしてこの“実験による再検証”の姿勢こそ、彼が生涯貫いた経験主義の科学哲学でした。
■「古い知識=迷信」と決めつけない
フランクリンが本章で訴えているのは、
単なる科学的好奇心ではありません。
「学者は、無学者の知識を軽んじる傾向がある。」
この言葉は、知識階層の傲慢さへの警鐘でもあります。
彼は、学問の真理は必ずしも大学や研究所の中にあるわけではなく、
人々の生活の中──経験・観察・伝承の中にも眠っていると考えていました。
たとえば、東洋では古くから「気化熱による冷却法」が知られていた。
これは後に西洋科学が「蒸発による冷却原理」として再発見したものです。
つまり、古代や民間の知恵=未熟な科学ではなく、
科学の“前段階”としての知恵なのです。
■科学とは、過去を否定することではない
現代人は「科学=新しい知識」と思いがちですが、
フランクリンはむしろ逆を説いています。
「新しい知見とは、古い知恵を別の角度から確かめたものだ。」
これは、イギリスの科学哲学者フランシス・ベーコンやニュートンにも通じる思想です。
“巨人の肩の上に立つ”という言葉のとおり、
すべての発見は、過去の経験の積み重ねから生まれるのです。
■「知の謙虚さ」が真の科学者を育てる
フランクリンは、この体験を通じて“謙虚な科学者”であることの大切さを知りました。
- 一見くだらない話にも、観察の種がある
- 経験則の背後には、物理的メカニズムがある
- 古代の知恵を尊重することが、新しい科学を生む
科学とは、過去を嘲笑うことではなく、過去を理解する努力です。
■まとめ:「古代の知恵=経験に基づく科学」
フランクリンが“油で波を鎮める”現象から学んだのは、
科学の本質が「経験から学ぶ態度」にあるということでした。
- 古い知恵を軽視しない
- 理屈よりも観察と実験で確かめる
- 日常の中に科学を見つける
そして、彼はこう結論づけます。
「経験的事実は、どんな時代にも真理のかけらを含んでいる。」
フランクリンの実験精神は、
古代から現代へ、そして未来へと続く“知のバトン”なのです。
