「人の心は偽りに満ちている」ことを知ると、生きるのが少し楽になる理由|エレミヤ書17章9節から学ぶ人間理解
私たちは日々、人との関わりの中で「裏切られた」「思っていたのと違った」と感じる瞬間に出会います。
しかし、その苦しみの多くは「人の心は一貫しているはず」という前提から生まれているのかもしれません。
聖書のエレミヤ書17章9節にはこう書かれています。
「人の心は何よりも偽りに満ちていて、それは直らない。誰がそれを知ることができようか。」
この言葉は、一見すると悲観的に聞こえます。「人間は嘘つきで、どうしようもない存在なのか」と思うかもしれません。
しかし、よく読むとこの言葉には「人の心とはもともと移ろいやすく、完全には制御できないものだ」という、深い人間理解が込められています。
心は常に変化するもの
私たちの感情や考えは、環境や体調、時間の流れによって驚くほど簡単に変わります。
昨日までは信じていたことが、今日になると疑わしく思えたり、誰かを好きだった気持ちが、いつの間にか冷めてしまうこともあります。
これは「偽り」ではなく、「心が常に動いている」という自然な現象です。
ただ、その変化を「裏切り」と捉えると、人は深く傷ついてしまいます。
だからこそ、エレミヤ書の言葉は「人の心は変わるもの」と、あらかじめ知っておくことの大切さを教えているのです。
「人の心」を理解すると、人間関係が少し楽になる
私たちはしばしば「相手の言葉」を信じすぎてしまいます。
「ずっと味方でいてくれる」「絶対に裏切らない」「私を理解してくれている」と。
もちろん、信頼は大切です。ですが、人の心が完全に一定であることを前提にすると、どんな変化も「嘘」や「裏切り」に見えてしまいます。
相手が変わったとき、「人の心はそういうもの」と理解していれば、過剰に傷つくことはありません。
それは冷たい態度ではなく、むしろ成熟した受け止め方なのです。
自分の心もまた、偽りに満ちている
この聖書の言葉は、他人だけでなく「自分自身」にも向けられています。
私たちは「自分の気持ちはわかっている」と思いがちですが、実際にはその心も移ろいやすく、都合によって変化します。
たとえば、疲れているときには他人に冷たくしてしまったり、状況によって意見を変えたり。
そのたびに「自分は弱い」「一貫性がない」と責める必要はありません。
人の心はもともとそういうものだと受け入れることで、自分を責める苦しみからも少し解放されます。
「偽りの心」を前提にした優しさ
「人の心は偽りに満ちている」と知ることは、相手を疑うことではありません。
むしろ、「人間とは不完全な存在だ」と理解し、変わっていく心を受け入れる柔軟さを持つことです。
相手の変化を責める代わりに、「そういうときもあるよね」と受け止める。
自分の心が揺れたときも、「これが今の自分なんだ」と認める。
その優しさこそ、成熟した人間関係を築く土台になります。
まとめ:心の不完全さを受け入れる勇気を
「人の心は偽りに満ちている」という言葉は、決して人間不信を勧めるものではありません。
むしろ、私たちが他人にも自分にも過剰な期待をせず、現実的な目で心を見つめるための知恵です。
心が変わるのは自然なこと。
その不完全さを受け入れることで、私たちはもっと穏やかに、柔らかく生きていけるのです。
