「君を害するのは攻撃してくる相手ではない。君が『ひどい目に遭った』と思い込むことなのだ。」
これはストア派の哲学者エピクテトスが『提要』で残した言葉です。彼は、私たちを苦しめるのは外部の出来事そのものではなく、それをどう受け止めるかだと教えています。
出来事そのものには善悪はない
ストア派の基本的な考え方は、物事に善いも悪いもないというものです。市場暴落で失う100万ドルは、誰が失っても単なる数字の変化です。しかし億万長者と一般人では受け止め方がまったく異なるでしょう。
同じように――
- 配偶者からの一言は、他人からの非難よりも強く心を刺す
- 腹立たしいメールも、そもそも見なければ「害」にはならない
つまり、出来事を「悪い」と決めるのは私たちの心であり、外部の事実そのものではないのです。
害を生み出すのは「反応」
何か嫌なことを言われたとき、腹を立てれば「害を受けた」と感じます。声を荒げて言い返せば、たちまち争いが生まれます。
逆に、自制を保ち冷静に受け流せば、その出来事はただの情報として過ぎ去ります。同じ出来事でも、反応次第で「害」にも「無害」にも変わるのです。
感情的に反応しないために
エピクテトスは「まず印象に流されないようにすることが大切だ」と言います。感情の嵐にすぐ飛び込むのではなく、少し距離を取ること。
- 時間を置く:数時間経つと怒りの熱は自然と冷める
- 距離を置く:一歩離れて状況を眺めると相手の背景も見える
- 別の時点を想像する:もし数年前や数年後なら、この出来事をどう受け止めるか?
このように視点を変えることで、感情に巻き込まれにくくなります。
出来事にラベルを付けない
「悪い出来事」と思うのは、私たちがそうラベル付けするからです。同じ状況でも、別のときに経験していれば違う反応をしたかもしれません。
ならば今、わざわざ「悪い」と決めつける必要はありません。ラベルを外せば、出来事はただの出来事に戻ります。
まとめ ― 本当に害を与えるものは?
私たちを傷つけるのは、外部の出来事ではありません。
「これはひどい」「害を受けた」と思い込む私たち自身の心です。
怒りや不安を煽っているのは他人ではなく、自分の解釈。ならば選ぶべきは、感情に支配されず冷静に受け止めることです。
エピクテトスが教えるように――
「誰かに怒りを覚えたとき、その怒りをたきつけている張本人は自分の考えである」
次に腹立たしい出来事が起きたら、この言葉を思い出してみてください。きっとあなたの心は、より自由で平静に近づけるはずです。