「社会人としての責任を果たせ」——誠実な生き方が信頼を生む
「社会人としての責任を果たせ」——誠実であることが最大の信頼
聖書のローマ人への手紙13章7節には、こう書かれています。
「だれにでも、納めるべきものを納めなさい。
税を納めるべき人には税を、関税を納めるべき人には関税を、
恐れるべき人を恐れ、敬うべき人を敬いなさい。」
この一節は、単なる“納税のすすめ”ではありません。
それは、**「社会の一員として誠実に責任を果たすことが、人としての基本である」**という教えです。
現代社会においても、この言葉はまったく古びていません。
仕事、家庭、地域、そして国家の中で、
一人ひとりが責任を果たすことが、社会全体を支える土台なのです。
「支払うべきものを支払う」とは、義務だけを指さない
多くの人はこの聖句を、「税金をきちんと払いましょう」と理解します。
もちろんそれも重要です。
しかし、パウロの意図はもっと広く、深いものです。
ここでいう「支払うべきもの」とは、
- 経済的な義務(税・料金)
- 社会的な義務(法やルールの遵守)
- 道徳的な義務(感謝・敬意・信頼)
をすべて含んでいます。
つまり、「人としてなすべき当然のことを、誠実に行いなさい」ということです。
責任を果たすことは、「信頼を積み重ねること」
社会の中で信頼を築く人は、特別な才能があるからではありません。
小さな約束を守り、期限を守り、嘘をつかない。
そうした“当たり前”を積み重ねる人こそが、
信頼を得て、真に尊敬されるのです。
一方で、責任を軽んじる人は、どんなに能力が高くても信用を失います。
- 約束を守らない
- 義務を怠る
- 人に敬意を払わない
こうした姿勢は、周囲に不信感を生み、やがて孤立を招きます。
聖書が説くのは、**「信仰とは、誠実さと行動が伴う生き方」**ということ。
社会人としての責任を果たすことも、信仰的な実践の一部なのです。
「敬うべき人を敬う」——礼儀と敬意の大切さ
ローマ人への手紙13章7節の後半では、
「恐れるべき人を恐れ、敬うべき人を敬いなさい」と述べられています。
ここでいう“恐れ”とは、恐怖心ではなく“敬意”のこと。
つまり、目上の人・権威・制度・社会のルールを尊重する姿勢を意味します。
現代では、上下関係を嫌う風潮がありますが、
敬意を持つことは「服従」ではなく「成熟」です。
敬意とは、
- 相手の立場を理解すること
- 感謝の気持ちを表すこと
- 社会の秩序を守ること
であり、それがある人は、どんな場面でも信頼されます。
「責任を果たす人」が社会を変える
社会は、制度や法律だけで成り立っているわけではありません。
それを支えているのは、一人ひとりの誠実な行動です。
- 仕事を丁寧にこなす
- 期限を守る
- 公共の場を清く使う
- 他人に敬意をもって接する
これらは地味な行いに見えますが、社会を健全に保つ力そのものです。
つまり、責任を果たす人こそ、最も確実に社会を良くしている人なのです。
「義務感」ではなく「感謝の心」で
ただし、責任を果たすことを“義務”として考えると、心が疲れてしまいます。
大切なのは、「感謝の心」から行動することです。
税を払うのも、
「自分がこの社会の一員として支えられているから」。
敬意を払うのも、
「自分を育ててくれた人たちがいるから」。
そう思えるとき、義務は重荷ではなく、
誇りある責任へと変わります。
現代の「責任のあり方」をもう一度考える
SNS時代の今、「自由」や「自己表現」が強調される一方で、
「責任」や「義務」は軽視されがちです。
しかし、自由とは責任とセットで成り立つもの。
自分の行動に責任を持つことこそ、真の自由への第一歩です。
ローマ書の言葉は、現代にもこう問いかけています。
「あなたは社会の中で、何を支え、どう生きているのか?」
責任を果たすということは、
“自分がこの社会の一員である”という自覚の証なのです。
終わりに:誠実さは、最も静かな信仰
ローマ人への手紙13章7節は、
単なる「ルールを守れ」という命令ではありません。
それは、**「誠実に生きることが、人を敬い、神を敬うことになる」**というメッセージです。
税金を納める、約束を守る、敬意をもって人に接する——
これらの積み重ねこそ、社会の中での“信仰のかたち”です。
まとめ
- 社会人の責任とは、義務と敬意をもって生きること
- 小さな誠実の積み重ねが、信頼を生む
- 感謝の心で義務を果たすことが、成熟した生き方
今日あなたが果たす「当たり前の責任」が、
静かに誰かを支え、社会をより良くしていることを忘れないでください。
誠実に生きること——それが、何よりも美しい信仰の姿です。
