「物事には、善いものと悪いものがあるが、そのほかに善でも悪でもないものもある。」
ストア派哲学者エピクテトスは『語録』でこう述べました。善とは美徳であり、悪とは悪徳。そして富や健康、寿命や死、快楽や苦痛といったものは「善でも悪でもないもの」に分類されます。
執着を手放すと人生は変わる
多くの人が日々悩んでいるのは、まさに「善でも悪でもないもの」です。
- どうすればやせられるか
- どれだけお金を持っているか
- あと何年生きられるか
- どんな死を迎えるのか
これらにとらわれすぎれば、嫉妬や不安、強欲や独占欲に支配されます。もしあなたがそれらを「大したことではない」と受け止められたらどうでしょうか? 職場の人間関係や恋愛、友情はもっと落ち着いたものになるでしょう。
セネカの生き方 ― 富に執着しない態度
ストア派の哲学者セネカは、莫大な富と名声を持っていました。それでも彼はストア派らしく、富に執着しませんでした。
- 富は楽しむが、いつか消えることを受け入れる
- 失うことを過度に恐れない
- 守銭奴のように一銭も手放すまいとする態度を避ける
セネカの姿勢は「中庸の精神」の体現でした。所有を否定するのではなく、所有しても執着しない。その柔らかな態度こそ、ストア派が説く心の自由なのです。
避けるのではなく、恐れすぎない
ここで大切なのは「物事を避けること」ではありません。富や健康、快楽を楽しむのは自然なことです。ただし、過大に恐れたり、過度に執着したりしないことが重要です。
- 病気を恐れるあまり人生を楽しめない
- お金を失う不安で挑戦できない
- 老いや死を考えすぎて今を味わえない
こうした態度は、自ら心の牢獄を作り出してしまいます。
執着しないための実践法
- 「これは善でも悪でもない」と分類する
お金や健康を「中立なもの」としてラベル付けする。 - 失う可能性をあえて想像する
「いつかなくなる」と受け入れれば、過度な恐れは和らぐ。 - あるがままを楽しむ
富や健康があるなら感謝して楽しみ、ないならないなりに心を平静に保つ。 - 比べない習慣を持つ
他人と比較するのをやめ、自分の心の状態を基準にする。
まとめ ― 執着を手放すことで得られる自由
私たちが執着しがちなもの――富や健康、寿命や快楽。それらは本来「善でも悪でもないもの」にすぎません。
セネカのように所有しても執着せず、エピクテトスのようにそれらを「中立なもの」と見なすとき、私たちは心の自由を取り戻せます。
他人がこだわることに振り回される必要はありません。むしろ「どうでもよい」と受け止められるとき、あなたの人生は驚くほど軽やかで平穏になるのです。