『移動と階級』を読む|「動ける人」と「動けない人」が生む新しい格差とは?
『移動と階級』を読む:「動ける人」と「動けない人」が生む新しい格差
私たちは毎日のように動いている。通勤、通学、旅行、引っ越し。けれど、伊藤将人さんの『移動と階級』(筑摩書房)は、その「動く力」そのものがすでに社会的な格差を映し出す鏡になっていると語る。本書は、移動という行為を「資本(モビリティ・キャピタル)」として捉え、その蓄積の差が新たな階級線を刻んでいる現実を明らかにする一冊だ。
「移動資本」という新しい視点
著者が提示するキーワードのひとつが「移動資本」。それは、自由に移動するための金銭的・技能的・時間的・心理的な余裕の総体を指す。
移動資本が豊かな人ほど、遠距離通勤や海外渡航、地方移住など、多様な行動選択が可能になる。反対に、資本が乏しい人は、住む場所や職業を選ぶ自由さえ制限される。
この考え方は、単なる経済格差を超えて「動ける/動けない」という身体的・社会的自由度の格差を浮かび上がらせる。
著者が調査で明らかにするデータも衝撃的だ。年収300万円未満の層では、過去1年間に都道府県外へ旅行した経験がない人が約46%にのぼる。つまり、同じ国に住んでいても「移動する」という当たり前の行為が、すでに限られた人々の特権となりつつあるのだ。
移動と「ネットワーク資本」
さらに本書では、移動がもたらすネットワーク資本にも焦点が当てられる。
ネットワーク資本とは、オンライン・オフラインを問わず、人とのつながりを資源として活用する力のこと。
高い移動資本を持つ人ほど多様な出会いを経験し、それが仕事や情報、チャンスの拡大につながる。一方、動けない人は人間関係も閉じたままになりやすく、「格差の再生産」が起こる。
この構造は、都市部と地方、男女間、正規と非正規といったあらゆる線で交差している。たとえば、女性の約3割が「地域をまたぐ転居の決定権を持たない」と回答しており、ジェンダー規範が移動の自由を制限していることも示唆される。
「移動すれば成功できる」という神話への問い
伊藤氏が痛烈に批判するのは、「成功したければ動け」というモビリティ神話だ。
ビジネス書やSNSでは「行動力こそ成功の鍵」と語られるが、その背景には「移動できる条件をすでに持つ人」だけが見落としている構造的不平等がある。
資金・時間・人脈・安全——これらがそろって初めて自由な移動は可能になる。
にもかかわらず、「動けないのは努力が足りないから」という自己責任論が強まれば、格差はますます固定化していく。
この本が優れているのは、そうした構造的な要因を「データ」と「理論」の両面から掘り下げ、移動の自由を再定義している点だ。
移動は意欲や根性の問題ではなく、社会的資源へのアクセスの問題なのだ。
「動ける社会」をどうつくるか
では、どうすればこの「移動格差」を緩和できるのか。
著者は、移動サービスの均質化だけでなく、「情報」「ネットワーク」へのアクセス保障が欠かせないと説く。
移動できない人が取り残されるのは、交通手段の問題だけでなく、「移動を選択肢として思い描ける想像力」が育まれていないからだ。
本書の最終章では、移動政策・教育・労働環境といった複数の領域を横断しながら、格差是正に向けたヒントが提示される。働き方改革や地方創生に携わる人にとっても、政策的示唆に富む内容となっている。
読後に訪れる「足もとの変化」
『移動と階級』を読み終えると、日常の「移動」がまったく違って見えてくる。
通勤電車の窓の外、駅までの道、休日のドライブ——それらがすべて、社会の構造と深く結びついた行為だと気づかされるのだ。
そして、「遠くへ行くことだけが自由ではない」という一文が心に残る。
動けない人に寄り添い、動ける人がその特権を自覚する——その視点の転換こそ、本書が訴えるメッセージである。
まとめ
伊藤将人『移動と階級』は、現代日本の格差社会を「移動」という切り口から読み解く意欲作だ。
単なる社会批判ではなく、私たち一人ひとりが「どのように動ける社会をつくるか」を考えるための実践的な問いを突きつけてくる。
読むほどに、日常の風景が変わって見える——そんな「思考の旅」へと誘う一冊である。
