「愛をよりどころにして生きよ」──不確かな時代にこそ大切にしたい、共に生きる幸せ
愛をよりどころにして生きよ──不確かな時代にこそ大切にしたい、共に生きる幸せ
私たちが生きるこの世界は、いつも予想できない出来事に満ちています。
努力しても報われないことがあり、
正しく生きても、不公平な結果に直面することがある。
そんな“虚しさ”を誰よりも深く見つめたのが、『コヘレトの言葉(伝道の書)』の著者です。
その中で彼は、こう語ります。
「この虚しい人生の間に、あなたの愛する妻と共に喜びなさい。
それがあなたの受ける分であり、
天の下で労苦するあなたへの報いである。」
(コヘレトの言葉 9章9節)
これは、人生の儚さを知り尽くした賢者が伝える、幸せの本質を示す言葉です。
不確かな世界の中で、唯一確かなもの
仕事も、名誉も、財産も、すべては移ろいゆくものです。
時の流れの中で、築いたものは失われることもある。
しかし、人と人との愛だけは、心に残り続けるもの。
それは目に見えず、数字では測れないけれど、
人が生きる意味を支えてくれる“確かな光”です。
コヘレトは、人生の虚しさを嘆くのではなく、
その中にある小さな喜び──「誰かと愛を分かち合う時間」こそ、
この世で与えられた最大の祝福だと説きます。
愛は「特別な出来事」ではなく「日常の中」にある
私たちはつい、「愛とはドラマチックな出来事」だと思いがちです。
しかし、真の愛はむしろ、静かな日常の中に息づくものです。
- 何気ない会話に笑い合う時間
- 疲れた日、黙ってお茶を淹れてくれる優しさ
- 理解されなくても、隣でいてくれる安心感
それらはどれも小さな瞬間ですが、
積み重なれば、人生そのものを照らす光になります。
「愛に生かされる人生」とは、特別な奇跡ではなく、
今日という一日の中にある温もりを感じ取れる心なのです。
支えてくれる人がいること、それが最大の報い
コヘレトは、「愛する人がいること」そのものを「報い」と表現しました。
つまり、成功や名誉ではなく、**“共に生きる人の存在こそが人生の報酬”**だというのです。
たとえそれが恋人でなくても、
家族、友人、職場の仲間、あるいは人生を理解してくれる誰か。
そのような人とのつながりがあること自体が、人生を豊かにします。
孤独は人を弱くしますが、
愛は人に「もう一歩、前へ進む力」を与えます。
愛をよりどころに生きるとは、「感謝を忘れない」こと
愛をよりどころに生きるとは、
大げさな愛の宣言をすることではなく、
感謝の気持ちを日々忘れずに生きることです。
- 「今日も一緒にごはんが食べられた」
- 「あの人がいるから頑張れる」
- 「笑顔で『おかえり』が言える」
それらの当たり前は、決して当然ではありません。
忙しさの中で見失いがちな幸せを、もう一度心に取り戻すこと。
それが、“愛をよりどころに生きる”ということなのです。
おわりに──愛こそ、人生の答え
コヘレトの言葉は、一見「虚しさ」ばかりを語っているように見えます。
しかし、その奥底に流れているのは、愛こそ人生の意味であるという真理です。
人生の終わりに、私たちが本当に思い出すのは、
達成した仕事や得たお金ではなく、
誰と笑い、誰と支え合いながら生きたか。
愛する人と共に生きること。
それが、神から与えられた最も美しい報いなのです。
