「麗しさに目を留めて生きよ」──混沌の時代に、心の美しさを保つ秘訣
麗しさに目を留めて生きよ──混沌の時代に、心の美しさを保つ秘訣
この世界には、目を覆いたくなるような出来事があふれています。
人の争い、欲望、裏切り、そして終わりの見えない不安。
そんな中で、私たちはどうすれば心を澄ませて生きられるのでしょうか。
古代イスラエルの詩人・ダビデは、
人生の戦いのただ中で、こう祈りました。
「私は主に一つのことを願った。
それを切に求めている。
それは、命のある限り主の家に住み、
主の麗しさを仰ぎ見、
その宮で思いにふけること。」
(詩篇 27篇4節)
心が乱れる時こそ、「何を見るか」を選ぶ
私たちの心は、日々目にするもので形づくられています。
ニュース、SNS、仕事、人間関係──
心が疲れるのは、
“見たくないもの”に囲まれて生きているからかもしれません。
ダビデは、そんな現実の中で**「何を見るか」**を選びました。
彼は、世界の暗闇ではなく、
神の麗しさと恵みに目を向けることを選んだのです。
見るものを変えれば、心の景色も変わる。
それが、信仰者の強さであり、
心の平安を保つ秘訣です。
「神の麗しさ」とは、目に見えない美しさ
ここでいう「麗しさ」とは、単なる美しい景色や芸術ではありません。
それは、神の愛・優しさ・真実・赦しといった、
心で感じる“内なる美しさ”のことです。
ダビデは、荒れ狂う現実の中でその“麗しさ”を見つめることで、
恐れに打ち勝ち、信仰の力を得ていました。
私たちもまた、
目の前の現実が暗く見えるときほど、
**「心の目で美しさを見る力」**を養う必要があります。
それは、
- 誰かの優しさに感謝する
- 小さな喜びを味わう
- 愛のある言葉に耳を傾ける
といった、日常の小さな瞬間に宿っています。
悪に心を奪われないために、「美しさ」に留まる
この世界には誘惑があり、悪意があります。
それらに引き寄せられるのは、人の自然な弱さです。
しかし、ダビデは「麗しさ」に目を留めることで、
悪に心を支配されることから自分を守りました。
美しいものを見つめ続ける人は、
醜いものに心を奪われなくなる。
つまり、「何に心を留めるか」が、
あなたの人格と人生を形づくるのです。
「神の家に住む」とは、神の臨在を日々に感じること
ダビデの願いは「神の家に住むこと」でした。
それは、物理的な神殿に住むという意味ではなく、
心の中に神の存在を感じながら生きるということです。
毎日の生活の中で、
- 感謝することを忘れない
- 誰かに優しい言葉をかける
- 美しいものを見て、神を思い出す
こうした小さな行為が、
「神の家に住む」という祈りの実現です。
神を身近に感じる生き方は、
人生をどんな状況でも豊かにしてくれます。
おわりに──心を“麗しさ”に向ける生き方を
ダビデの祈りは、時代を超えて私たちに響きます。
「私は麗しさに目を留めたい。」
それは、逃避ではなく、選択。
暗闇ではなく、光に焦点を合わせるという意志の表れです。
どんなに混乱した時代であっても、
心を神の愛と美しさに向けることができるなら、
そこに確かな希望があります。
見るものを変えれば、世界は変わる。
麗しさに心を留める者の人生は、いつも光に満ちている。
