「自己の成長とは自分の善性を最大限に発揮することだ」—新渡戸稲造『人生読本』に学ぶ、本当の成長とは何か
「成長」とは、外の成果ではなく内なる進化
現代では「自己成長」という言葉が盛んに使われます。
スキルアップ、キャリアアップ、収入アップ――
どれも大切なことですが、それだけが“成長”でしょうか?
新渡戸稲造は『人生読本』の中で、次のように明確に述べています。
「自己の成長とは、自分の内部に潜んでいる善性を最大限に発揮し、悪性を矯正することだ。」
つまり、本当の成長とは「外的な成功」ではなく、内面的な向上を指すのです。
善性とは、人の中に本来備わっている「優しさ」「誠実さ」「思いやり」「正義感」など。
それらをどれだけ引き出せるかこそが、成長の尺度だと新渡戸は説きます。
「立身出世」は成長の一部にすぎない
新渡戸はこうも続けます。
「それは決して自己の勢力を拡大したり、あるいは自己の財産を増やしたりするような、いわゆる『立身出世』のことではない。世間的な成功というのは、自己成長における一つの小さな通過点にすぎない。」
この言葉は、現代人の価値観に深く問いかけます。
社会的成功=成長、という思い込みが根強い時代に、
新渡戸は「それは通過点にすぎない」と断言しているのです。
たとえ大きな地位を得ても、心が傲慢になれば、それは退歩。
たとえ小さな立場でも、誠実に努力し、他人に優しくできるなら、それは確かな成長です。
本当の成長とは、**「どれだけ自分の善い部分を発揮できたか」**で測られるべきものなのです。
人の中にある「善性」と「悪性」
新渡戸は人間を「善も悪も併せ持つ存在」として捉えていました。
つまり、誰の中にも「光と影」があるということです。
そのうえで彼は言います。
人間の成長とは、「善を伸ばし、悪を抑える」こと。
たとえば――
- 怒りそうな場面で、ぐっとこらえて相手を思いやれた
- 嫉妬心を感じたとき、自分の成長の糧に変えられた
- 損をしても正しい行いを選べた
これらこそが、社会的評価よりも尊い“自己成長”です。
新渡戸は、この「内面の修養」を何より重視しました。
「善性を発揮する」ことが、幸福につながる
善性を発揮することは、単なる道徳論ではありません。
実は、それが人を最も幸せにする道でもあります。
人を助けたとき、誰かを思いやったとき、
心の中に温かい満足感が生まれますよね。
それは、「人間としての本性=善性」に従って生きている証拠です。
新渡戸は、善を行うことそのものが「幸福」につながると信じていました。
つまり、自己成長=幸福の追求なのです。
「内面的な成長」を育むためにできること
- 日々、自分を省みる時間を持つ
今日、どんな善を行えたか。どんな悪を抑えられたか。
新渡戸は「反省こそ自己修養の第一歩」と説きました。 - 他人を通して自分を見る
他人を批判したくなったとき、それは自分の中の課題かもしれません。
他人を鏡にして、自分の善性・悪性を見つめる習慣を持ちましょう。 - 「誠実であること」を第一にする
善性を発揮するとは、結局「誠実に生きる」ということ。
どんな小さな行動にも、誠実さを込めることで心は成長します。
まとめ:成長とは、“良心”を育てること
新渡戸稲造が『人生読本』で伝えた「自己成長」とは、
他人と競うことでも、地位や財を得ることでもありません。
それは、自分の内なる善性を磨き、悪を矯正しながら、誠実に生きること。
- 善を発揮することで人は成長する
- 成長とは心の変化であり、社会的成功はその副産物にすぎない
- 「立身出世」ではなく「心の成熟」を目指す
社会的な成功よりも、人としての温かさ・誠実さを重ねていくこと。
それこそが、時代を超えて輝く“新渡戸の成長論”なのです。
