「伸びる前には必ず試練があると思え」—新渡戸稲造『人生読本』に学ぶ、逆境を味方にする生き方
「天は人を使う際、まず苦しみを与える」
新渡戸稲造は『人生読本』の中でこう述べています。
「昔の聖人が教えている通り、天が人を使う際には、まず苦しみを与えてその人の力を試し、胆力を練り上げて、その使命をまっとうさせようとする。」
この言葉は、中国の古典『孟子』の一節
「天将降大任於是人也(天、まさにこの人に大任を降さんとするや)」を想起させます。
天(運命や自然の理)は、人に大きな使命を与える前に、必ず試練を与える。
それは、苦しめるためではなく、その人を鍛えるためなのです。
「大伸の前に大屈あり」—苦しみの中にこそ成長の種がある
新渡戸は続けてこう書いています。
「『大伸の前に大屈あり』という言葉があるように、人は何事においても、困難な試練を乗り越えなければ、その後大きく伸びることはできないのだ。」
“屈する”とは、挫折すること、苦境に立たされること。
しかし、それを乗り越えた者だけが“大伸”――本当の成長を遂げます。
成功の前に試練があるのは、
自然の摂理のようなもの。
竹が風にしなやかに立つためには、
一度大きくしならなければならないように、
人間もまた、屈してこそ伸びるのです。
試練は「拒むべき敵」ではなく、「受け入れる教師」
多くの人は、苦しみや失敗を「避けるべきもの」と考えます。
しかし、新渡戸はむしろそれを**「人を鍛える教師」**として捉えました。
私たちは、順調なときよりも、
悩み、挫折し、涙を流した経験から多くを学びます。
- 失敗を通じて、謙虚さを知る
- 苦しみを通じて、他人の痛みを理解する
- 挫折を通じて、自分の限界を越える力を得る
このように、試練は人の“人格”を磨くための必然的なステップなのです。
「試されるとき」こそ、成長のチャンス
新渡戸が語る「試練」には、ただの忍耐だけでなく、**「使命」**という概念があります。
「天が人を使う際には、まず苦しみを与えて…その使命をまっとうさせようとする。」
つまり、今あなたが直面している困難は、
「あなたにしか果たせない使命を全うするための準備期間」なのかもしれません。
もし思うようにいかないことが続いても、
「天が自分を鍛えてくれている」と受け止めることで、
苦しみが意味あるものに変わります。
試練の中でこそ、未来の自分が育っている。
それが新渡戸稲造の教えです。
現代社会における“試練”の受け止め方
現代人にとっての「試練」は、
昔のような飢えや戦いではありません。
むしろ――
- 職場での評価の壁
- 人間関係のストレス
- 将来への不安
- 自己肯定感の低下
こうした“心の試練”です。
しかし、これらもすべて、
あなたの内面を強くし、
より深く人を理解できる人間へと成長させる糧になります。
新渡戸が言うように、**「試練がなければ伸びない」**のです。
苦しみの先にある「平安」
新渡戸の思想は決して苦行主義ではありません。
彼は「苦しみに意味を見出すこと」が心の平安につながると説いています。
試練を「不運」と考えるか、「成長の前兆」と考えるかで、
人生の景色はまったく変わります。
苦しい今は、未来の自分が立ち上がるための準備期間。
その視点を持つだけで、
試練は“敵”ではなく、“伴走者”になります。
まとめ:試練を恐れず、伸びる力に変える
新渡戸稲造の『人生読本』が教えるのは、
「試練を避けるな、受け入れよ。そして、それを糧にせよ。」という姿勢です。
- 天は人を鍛えるために苦しみを与える
- 「大屈の後に大伸あり」
- 試練はあなたの善性を磨く機会
- 苦しみの中にこそ、使命と成長がある
逆境のときこそ、自分の真価が問われるとき。
その苦しみを乗り越えたあとにこそ、
誰にも奪えない「内なる強さ」が生まれるのです。
