「青年時代の理想をときどき思い出せ」—新渡戸稲造『自警録』に学ぶ、原点を忘れない生き方
若き日の理想は、人生の「原点」
新渡戸稲造は『自警録』の中でこう述べています。
「青年時代に抱いた理想は大切だ。しかし年をとるにつれて、青年時代の理想から遠ざかっている自分を発見することが多くなる。」
この言葉には、年齢を重ねる中で理想を見失っていく人間の姿が率直に描かれています。
若い頃は誰もが、大きな夢や清らかな理想を持っています。
「人の役に立ちたい」「正しく生きたい」「社会を良くしたい」――そんな純粋な思いです。
しかし現実の中で仕事や責任、生活に追われるうちに、
その理想はいつの間にか心の奥へ押しやられてしまう。
新渡戸は、そんな現実を見据えた上で「だからこそ理想を思い出せ」と呼びかけています。
理想を忘れると、人は惰性で生きてしまう
年を重ねるほど、私たちは「現実的」になります。
理想よりも効率、夢よりも損得を優先しがちです。
もちろんそれ自体は必要なことですが、
行きすぎると人生は“ただこなすだけ”の毎日になってしまいます。
理想を忘れた人は、
- 何のために働いているのか
- なぜ努力しているのか
を見失いやすくなります。
新渡戸が言う「理想を思い出せ」とは、
惰性の人生に再び命を吹き込むための言葉なのです。
自己を省みる時間が、理想を取り戻す第一歩
新渡戸はこう続けます。
「自分がどのような状態になっているかを知るには、ときどき自己を省みなければならない。」
理想を忘れないためには、**定期的な内省(リフレクション)**が不可欠です。
日々の生活の中で、ほんの少し立ち止まり、自分に問いかけてみるのです。
- 今の自分は、若い頃の理想に近づいているだろうか?
- あの頃の自分が見たら、今の自分を誇りに思えるだろうか?
この問いを繰り返すことで、
理想を軸にした「人生の方向修正」ができるようになります。
理想に近づいているなら、それでいい
新渡戸は理想を思い出すことを説いていますが、
決して「若い頃の理想通りに生きよ」とは言っていません。
「今の自分が青年時代の理想に近づいているのであれば、それでいい。」
つまり、理想を“完璧に実現する”必要はないのです。
重要なのは、理想を忘れず、少しでも近づこうと努力を続けているかどうか。
たとえ遠回りしても、理想が生きている限り、人生は前に進んでいます。
それこそが、新渡戸の言う「誠実な生き方」です。
もし理想から遠ざかっているなら、立ち止まってみよう
新渡戸は、理想を見失ったときの行動についても明確に示しています。
「理想から遠ざかっているとすれば、その理想に向かって再度努力する決意を新たにしなければならない。」
人生において理想を見失う瞬間は誰にでもあります。
それは敗北ではなく、再出発の合図です。
理想は「若さの特権」ではありません。
年齢を重ねるほど、その意味は深まり、現実と結びつく形で成熟していくのです。
だからこそ、「もう遅い」と思う必要はありません。
思い出した瞬間から、理想への道は再び始まるのです。
現代社会における“理想を思い出す力”
現代は、目の前の課題や情報に追われ、
自分を振り返る時間を持つことが難しい時代です。
しかし、理想を忘れたままでは、
- 働く意味を見失い、
- 人間関係が形だけになり、
- 自分自身への誇りが薄れていきます。
逆に、青年時代の理想を思い出すだけで、
人は再び前向きに、自分らしく生き始めることができます。
それは“初心”というよりも、“生き方の原点”を取り戻す行為なのです。
まとめ:理想は、人生のコンパスである
新渡戸稲造『自警録』の「青年時代の理想をときどき思い出せ」は、
単なる懐古ではなく、人生の再点検のすすめです。
- 理想は人生の方向を示すコンパス
- 自己省察によって理想を見失わない
- 理想に近づく努力を続けることが成長そのもの
年齢を重ねた今こそ、
あの頃の理想を思い出してみましょう。
「こんな人間になりたかった」という原点を見つめ直すことが、
これからの人生をより豊かにしてくれるはずです。
