人生とは百貨店のようなもの──新渡戸稲造『人生読本』に学ぶ、日常の中にある無限の発見
人生を「百貨店」にたとえる発想
新渡戸稲造は『人生読本』の中で、次のように述べています。
「人生というのは百貨店のようなものだ。いかに小さくても、いかにひっそり隠れたものでも、その中には私たちの目を引き、心を動かし、あるいは好奇心を引き起こし、想像力を刺激するものが数かぎりなくあるのだ。」
この比喩は、新渡戸の哲学の中でもひときわユーモラスで、かつ深い洞察に満ちています。
百貨店とは、あらゆるものが揃っている場所。
人によって興味を引かれるコーナーが異なり、見る人の感性によって魅力の感じ方も変わります。
人生も同じ。
一見平凡に見える日々の中にも、驚きや発見が潜んでいる。
それに気づけるかどうかは、私たちの心の“見方”次第なのです。
人生の中には、無限の「展示品」がある
新渡戸は、人生を“多様な展示が並ぶ場所”として描いています。
そこには、
- 喜びのコーナー
- 悲しみのコーナー
- 友情、仕事、芸術、学問、自然……
と、無数の“商品棚”が並んでいます。
私たちはその百貨店を歩くお客さんのような存在です。
あるときは楽しみを見つけ、
あるときは苦しみに出会い、
ときに思いがけない発見をする。
つまり、新渡戸はこう語っています。
「人生に退屈などない。あるのは“退屈している心”だけだ。」
「見る目」を持てば、平凡な日常が輝き出す
新渡戸の言葉の本質は、「日常にある小さな驚きを見逃すな」ということです。
百貨店を歩いていても、興味のない人にはただの棚の並びにしか見えません。
しかし、好奇心を持つ人には、どんな小物にも新鮮な魅力がある。
人生もまったく同じ。
- 朝の空気の匂い
- すれ違う人の表情
- 仕事中にふと感じる達成感
- 家族や友人の何気ない言葉
こうした「ありふれた瞬間」の中に、感動や学びが隠れています。
それを見つける“心のセンサー”こそ、人生を豊かにする鍵なのです。
「小さなもの」に目を向ける人は、人生を味わえる
「いかに小さくても、いかにひっそり隠れたものでも、その中には私たちの目を引き、心を動かし…」
新渡戸はここで、“小さなもの”に注目しています。
多くの人は、大きな目標や派手な成功ばかりを追いがちです。
しかし、新渡戸はむしろ「目立たないものの中にこそ、真の価値がある」と説いているのです。
たとえば、
- 一輪の花に季節の移ろいを感じる
- 子どもの笑顔から純粋さを学ぶ
- 失敗から謙虚さを得る
こうした“ひっそりとした感動”を見つけられる人は、どんな環境にあっても幸福を感じられます。
「好奇心」は人生を動かすエネルギー
新渡戸が特に強調しているのは、人生における好奇心の価値です。
「心を動かし、あるいは好奇心を引き起こし、想像力を刺激するものが数かぎりなくある。」
好奇心とは、「知りたい」「触れたい」という心の動き。
それがある限り、人はいつまでも若々しくいられます。
逆に、好奇心を失えば、人生の“百貨店”は灰色に見えてしまう。
商品が変わらないのではなく、見る側の目が曇っているのです。
新渡戸は、**「知的な好奇心は生涯の伴侶である」**と考えました。
歳を重ねても学び続ける姿勢こそが、人生を豊かに保つ秘訣なのです。
想像力が人生をカラフルにする
新渡戸は「想像力を刺激する」という言葉も添えています。
これは、人生をただ“眺める”のではなく、“創造的に感じ取る”姿勢を意味します。
想像力とは、現実を新しい角度から見る力。
それがある人は、同じ風景の中にも物語を見つけ、同じ経験からも学びを得ます。
つまり、人生を“自分なりの物語”として歩む力です。
想像力が豊かな人の人生は、まるでカラフルなショーウィンドウのように輝いて見えるでしょう。
まとめ:人生を「見て、感じて、楽しむ」
『人生読本』のこの章が伝えるメッセージは、とてもシンプルです。
- 人生は多様で、どんな小さなものにも価値がある。
- 好奇心と想像力があれば、日常は輝きを取り戻す。
- 平凡な中にこそ、発見と感動の宝庫がある。
つまり、「退屈な人生」など存在しません。
あるのは、「見る目を持たない生き方」だけです。
最後に
新渡戸稲造の言葉を現代風に言えば、こうなります。
「人生は百貨店。歩きながら、気の向くままに、あなたの“好き”を見つけなさい。」
人生を難しく考えすぎず、好奇心のままに楽しむこと。
それが、新渡戸の説く“生きる修養”であり、
私たちが日常を豊かにするための一番シンプルな秘訣なのです。
