人生とは惜しみ惜しまれること──新渡戸稲造『世渡りの道』に学ぶ、人に必要とされる生き方
「惜しみ惜しまれる」──人間関係の本質
新渡戸稲造は『世渡りの道』の中で、こう語ります。
「助け助けられ、惜しみ惜しまれて、苦も楽もお互いに分かち合うのが、まさに人生というものだ。」
この一文は、彼の人生観を凝縮した言葉です。
人生とは、自分一人で完結するものではなく、
他者との関わりの中で成り立つ「相互の関係」である。
新渡戸は、人とのつながりを**“惜しみ惜しまれる”**という言葉で表現しました。
つまり、
- 助け合い、
- 感謝し合い、
- 必要とされ、
- そして別れのときに惜しまれる。
そのような関係の中にこそ、人間の幸福があると説くのです。
「いなければ困る人」になる
「いなければ困る人というのは、人から惜しまれる人だ。」
新渡戸の言う「惜しまれる人」とは、単に好かれる人ではありません。
その人がいなくなると、周囲が本気で困ってしまうような人。
- 周りに安心を与える人
- 困ったときに自然と頼られる人
- そこにいるだけで場が明るくなる人
つまり、「存在自体に価値のある人」です。
新渡戸は、人間としての理想を“有用性”や“人気”ではなく、
**「他者から惜しまれるほどの存在感」**に置きました。
「惜しい」と「欲しい」は同じ心
「『惜しむ』というのは『欲しい』という意味で、『惜しい』と『欲しい』は同じことの表裏だといえる。」
ここで新渡戸は、日本語の深い意味を掘り下げています。
「惜しい」とは、つまり「欲しい」ということ。
誰かを惜しむのは、その人がまだ自分のそばにいてほしいから。
裏返せば、「欲しい」と思う存在ほど、「失えば惜しい」と感じるのです。
たとえば:
- 良き友を惜しむのは、友情の証。
- 親を惜しむのは、愛情の証。
- 尊敬する人を惜しむのは、学びの証。
「惜しみ惜しまれる人生」とは、人と人との間に愛と信頼が流れている人生なのです。
「欲しいと思えばこそ惜しくなり、惜しいと思えばこそ欲しくなる」
新渡戸は、この関係性をさらに掘り下げてこう言います。
「欲しいと思えばこそ惜しくなり、惜しいと思えばこそ欲しくなる。」
これは、人間関係における「求め合いの循環」を表しています。
人は、心から誰かを求め、信頼するからこそ、
その人を失うことを惜しく思う。
そして、誰かに惜しまれる人とは、
人の期待や愛情に誠実に応えてきた人です。
つまり、“惜しみ惜まれる”関係とは、
与える人と、受け取る人が互いに感謝でつながる関係なのです。
「惜しまれる人」になるには
では、私たちはどうすれば“惜しまれる人”になれるのでしょうか。
新渡戸は具体的な方法を示していませんが、彼の思想全体からそのヒントを読み取ることができます。
① 誠実であること
人をだまさず、裏切らず、まっすぐに接する。
誠実な人は、言葉でなく行動で信頼を得ます。
② 与える人であること
求めるよりも、まず与える。
自分の時間や心を惜しまずに使う人こそ、最終的に惜しまれます。
③ 感謝を忘れないこと
「助けられた」と気づく人は、同時に「誰かを助けたい」と思える人です。
感謝の心が、人との絆を深めていきます。
「惜しまれる人」と「惜しまれない人」の違い
新渡戸の言葉を現代に置き換えると、
「惜しまれる人」と「惜しまれない人」には、次のような違いがあります。
| 惜しまれる人 | 惜しまれない人 |
|---|---|
| 他人の喜びを自分の喜びとする | 自分の利益だけを考える |
| 謙虚で人の話を聞く | 自分の意見ばかり主張する |
| 困っている人を助ける | 都合が悪いと距離を置く |
| 感謝の言葉を惜しまない | 感謝を表さない |
| 周囲に安心感を与える | 周囲に緊張感を与える |
惜しまれる人とは、周りを明るくし、安心させる人。
そうした人のもとには自然と人が集まり、
その人が去るとき、深い「惜しみ」が生まれるのです。
まとめ:人生は、惜しみ惜まれることで完成する
『世渡りの道』のこの章が伝えるメッセージは、次の3つに集約されます。
- 人生は、助け合い、惜しみ惜まれる関係の中にある。
- 「惜しい」と「欲しい」は同じ心で、人間関係の裏表である。
- 人から惜しまれる人こそ、真に必要とされる人である。
新渡戸稲造は、人との絆を“感情”ではなく“行為”として捉えました。
それは、互いに助け合い、思いやりを返し合う中で築かれる、
人間らしい温かさに満ちた人生観です。
最後に
新渡戸稲造の言葉を現代風に言えば、こうなります。
「惜しまれる人になりなさい。
それは、人に必要とされ、人を幸せにした証だから。」
人と人とが支え合い、
「あなたがいてくれてよかった」と言い合える人生。
それこそが、新渡戸稲造の語る“惜しみ惜まれる人生”の真の意味なのです。
