まずは自らを省みることから始めよ──新渡戸稲造『修養』に学ぶ、他人のせいにしない生き方
苦しみの原因は「社会」ではなく「自分の中」にある
新渡戸稲造は『修養』で、次のように語っています。
「自分はこんなに一生懸命努力しているのに、なぜ社会は自分を受け入れてくれず、これほど苦しませるのかと恨む人がいる。」
この言葉は、現代にも深く通じる指摘です。
私たちは困難や不満に直面したとき、つい「社会が悪い」「上司が悪い」「環境が悪い」と思いがちです。
しかし新渡戸は、そこにこそ最大の落とし穴があると警鐘を鳴らします。
「社会がその人を受け入れず苦しみを与えているのではない。その人自身が自分に苦しみを与えているのだ。」
つまり、苦しみの本当の原因は“外”にはなく、“内”にある。
自分の心のあり方が、現実の苦しみを生み出しているというのです。
「逆境」は他人がつくるのではなく、自分がつくる
「自分で逆境を作り出しながら、他人によって逆境に陥れられたと恨んでいるだけだ。」
この一節には、新渡戸の人生哲学の核心が込められています。
人は、同じ出来事に出会っても、捉え方によってまったく違う人生を歩みます。
ある人は苦境に落ち込む一方で、
別の人はそれを糧としてより強く成長していく。
この違いを生むのは、**「物事をどのように見るか」**という心の姿勢です。
たとえば——
- 仕事での失敗を「上司のせい」と思えば、成長は止まる。
- しかし「自分の準備が足りなかった」と考えれば、次への学びになる。
つまり、逆境を作り出しているのは“出来事”ではなく、“自分の見方”なのです。
新渡戸は、他人や環境を責めるよりも、
自分の中に原因を探し、改善することこそが“修養の第一歩”だと説きます。
「自らを省みる」とは、自己否定ではない
「自省」や「反省」という言葉を聞くと、
つい“自分を責めること”だと誤解されがちです。
しかし新渡戸が言う「省みる」とは、
自分を責めることではなく、自分を正しく観察することです。
つまり、
- どんな思い込みがあったか
- 何が自分を苦しめていたのか
- どうすればもっと良くなれるか
を、冷静に見つめ直すことです。
自分を責めるのではなく、
「学ぶために見る」——それが“省みる”という行為の本質なのです。
自省なくして成長なし
新渡戸は『修養』の中で一貫して、
「成長とは、自らを正すことの積み重ねである」と説きます。
「すべては自らを省みることから始まるのだ。」
これは、“修養”という言葉そのものの意味を体現しています。
修養とは、外から何かを学ぶことではなく、
自分の内側を磨き続けること。
外の世界を変えるよりも、まず内なる世界を整える。
その内面的な変化が、やがて現実の変化を引き寄せるのです。
この考え方は、心理学や自己啓発の分野でも「内的コントロール(Internal locus of control)」と呼ばれ、
**「自分の人生を自分の責任で動かす人ほど幸福である」**と証明されています。
他人を責める人は、永遠に不自由なまま
新渡戸は、「社会を恨む人は、いつまでも苦しみから抜け出せない」と断言します。
なぜなら、他人を原因とみなした瞬間、
自分の人生の“ハンドル”を他人に渡してしまうからです。
「自分は社会に苦しめられている」と思う人は、
社会が変わるまで幸せになれない。
しかし、「苦しみの原因は自分の中にある」と気づいた人は、
今すぐにでも自分を変えることができる。
だからこそ、自省は「自由への第一歩」なのです。
どんな苦しみも「学び」に変わる
もしあなたが今、
「努力しているのに報われない」
「周囲が理解してくれない」
「社会が冷たい」と感じているなら——
その苦しみを、外のせいにする前に、
一度立ち止まって「自分を省みる」ことが大切です。
- もしかすると、焦りが自分を追い込んでいないか。
- 周囲の声を聞かず、独りよがりになっていないか。
- 「認められたい」という思いが強すぎないか。
そうした気づきの一つひとつが、
苦しみを「修養の糧」へと変えていきます。
まとめ:変えるべきは、社会よりも自分
『修養』第129節の教えは、次の3つにまとめられます。
- 人を苦しめているのは社会ではなく、自分自身の心である。
- 逆境は他人が作るものではなく、自分の捉え方が作るもの。
- すべての変化は、自らを省みることから始まる。
新渡戸稲造は、厳しさの中に深い慈愛をもってこう語ります。
「恨むよりも、学べ。責めるよりも、磨け。」
私たちは、他人を変えることはできません。
しかし、自分を変えることなら、今この瞬間からでもできる。
それが、どんな困難にも負けない「修養の力」なのです。
最後に
新渡戸稲造の言葉を現代風に言えば、こうなります。
「社会を変える前に、自分を整えよ。」
社会に不満を抱くよりも、
自分の心を磨く方が、はるかに確実で、はるかに豊かな道です。
すべての問題の出発点も、そして解決の出発点も、
「自らを省みること」から始まるのです。
