新渡戸稲造『人生読本』に学ぶ——「隠すこと」は不正直ではない、本当の誠実とは何か
人生には「隠すべきもの」がある——新渡戸稲造の人間観
「正直に生きることは大切だ」と私たちはよく言います。
しかし、新渡戸稲造は『人生読本』の中で、こう語ります。
「人生には隠すべきものがある。どれほど真実であっても、人に対しては隠すべきものがある。これを表に出すことは、礼儀でもなければ正直でもない。」
この一節は、一見すると「正直に反する」ようにも感じられます。
けれども新渡戸が伝えたかったのは、本当の正直さとは“何を語り、何を語らないか”を見極める知恵なのです。
「何でも正直に言う」は、誠実とは限らない
現代社会では「オープンであること」や「本音で語ること」が美徳のように語られます。
しかし、すべてをさらけ出すことが誠実さではありません。
時に「真実を語らないこと」も、相手への思いやりや礼儀である場合があります。
たとえば、相手を傷つけるだけの言葉や、伝えても何の益ももたらさない批判をわざわざ口にする必要はありません。
正直さは、**「言葉の内容」ではなく「心の在り方」**にこそ宿るもの。
新渡戸の言葉は、表現の選び方こそが人の成熟を示すという、普遍的な人間理解を示しています。
「隠すこと」は卑怯ではなく、礼儀である
新渡戸はこう続けます。
「正直と隠蔽とは必ずしも矛盾するものではない。何でもかんでも表に出したからといって、ただちにそれが正直とは呼べないことも多い。」
つまり、「隠すこと」は必ずしも“嘘”ではなく、人間関係を円滑に保つための礼儀でもあるのです。
たとえば、上司が部下の失敗をすべて公にしないのは、守るため。
親が子に厳しい現実をすぐには伝えないのも、育てるため。
それらは“優しさをもった隠し方”であり、新渡戸の言う「正直の一つの形」なのです。
「表す」と「隠す」のバランスが人格をつくる
新渡戸は、「正直にはそれにふさわしい表し方があり、また隠し方がある」とも書いています。
つまり、正直さにも“美しい伝え方”があるのです。
感情をぶつけるのではなく、
相手を思いながらも真実を伝える勇気を持つ。
また、伝えずに胸の内に収める品位を保つ。
この**「表す」と「隠す」の間の絶妙なバランス**こそが、人としての成熟であり、日本的な「慎み」の美徳に通じています。
SNS時代にこそ思い出したい、新渡戸の教え
現代のSNSでは、思ったことを即座に発信することが容易になりました。
だからこそ、「何を隠すべきか」を見極める力がますます重要になっています。
真実を語る自由と同じくらい、沈黙を選ぶ自由も尊重されるべき時代です。
新渡戸の言葉は、140字の衝動的な発信が人を傷つけることのある今、再び重みをもって響きます。
まとめ:本当の正直とは、思いやりを伴うもの
「隠すべきものがある」という新渡戸稲造の言葉は、単なる処世術ではありません。
それは、人の心を大切にするための知恵であり、誠実さの奥にある温かさの哲学です。
正直とは、「何でも言うこと」ではなく、
「相手と自分の尊厳を守ること」。
その静かな誠実さこそ、新渡戸が生涯を通じて伝えた“人としての美しさ”なのです。
