自己啓発

新渡戸稲造『修養』に学ぶ——真に年をとるとは、人間的に成長することだ

taka
スポンサーリンク

真に年をとるとは「成長すること」——新渡戸稲造の人生観

『修養』の中で新渡戸稲造は、年齢と成長の関係についてこう述べています。

「去年は酒のために失敗したが、今年はそれがなくなった。
去年は人の悪口をよくいったが、今年はそれをしなくなった。
去年は人をうらやむ癖があったが、今年はそんな癖もなくなった。」

このように、年を重ねるとは「時間が経つこと」ではなく、
人間として少しずつ内面を磨いていくことなのだと新渡戸は説きます。


「老いる」と「成長する」は同義である

多くの人にとって、「年をとる」という言葉は、
体力の衰えや過去の栄光との距離を意味します。
しかし新渡戸は、それを真っ向から否定します。

「自分の努力と実行によって毎年人間的に成長し、向上発展することが、真に年をとるということだ。」

つまり、**年齢とは“積み重ねた時間”ではなく、“積み重ねた努力の質”**で決まるのです。
年齢を重ねるたびに少しでも自分を高めていくこと——それこそが“真に年をとる”ということなのです。


成熟とは「失敗を減らしていくこと」

新渡戸の挙げる例は非常に具体的です。
「酒で失敗しない」「悪口を言わない」「嫉妬しない」——。
どれも派手なことではありません。

しかし、この“ちょっとした改善”を続けていくことが、
本当の意味での成長なのです。

成熟とは、知識を増やすことでも、地位を得ることでもなく、
自分を律し、少しずつ心を整えていくこと
それができてこそ、年を重ねる意味が生まれます。


無為に過ごすことは「年をとる」ことではない

新渡戸は警鐘を鳴らします。

「そんな人間的成長がなく、無為に過ごしたとしたら、それは真に年をとったことにはならない。」

この言葉は厳しくも温かい真理です。
単に歳を重ねるだけでは「年をとった」とは言えません。
時間を生かし、努力を続け、少しでも心を高めること。
そうして初めて、**“人生を重ねた”**と言えるのです。

年齢は生物的なもの。
しかし「成熟」は精神的なもの。
その違いを見抜いていたのが、新渡戸稲造という思想家でした。


現代人に響く「年の重ね方」

現代社会では、「若さ」ばかりが称賛されがちです。
しかし、新渡戸は真逆の価値観を示しました。

老いることは、恥ではなく磨きの過程
年齢を重ねるほどに、穏やかに、柔らかく、寛容になっていく。
それが、新渡戸の理想とした“修養の道”でした。

年をとるとは、「若さを失う」ことではなく、
「経験を知恵に変える」こと。
それができる人こそが、真に成熟した大人なのです。


今日からできる“真の年の重ね方”

新渡戸稲造の教えを、現代に生かすなら、次の3つがポイントになります。

  1. 去年よりも一つ、短所を減らす努力をする
  2. 他人を責める前に、自分の心を見つめ直す
  3. 毎年「少しだけよくなった自分」を実感する

大きな目標ではなく、小さな成長でいい。
その積み重ねが、人生を豊かにしていくのです。


まとめ:年齢ではなく「心の成熟度」で生きる

新渡戸稲造の『修養』にあるこの言葉は、
生涯にわたって学び続ける人への温かい励ましです。

「真に年をとるとは、人間的に成長することだ。」

誰もが老いていく。
けれど、誰もが「成長」できる。

年齢を重ねるたびに、
少しずつ優しくなり、賢くなり、誠実になる。

その歩みこそが、真の“修養”であり、
新渡戸稲造が示した「生きる品格」なのです。

スポンサーリンク
ABOUT ME
TAKA
TAKA
理学療法士/ビール
理学療法士として臨床に携わりながら、リハビリ・運動学・生理学を中心に学びを整理し発信しています。心理学や自己啓発、読書からの気づきも取り入れ、専門職だけでなく一般の方にも役立つ知識を届けることを目指しています。
スポンサーリンク
記事URLをコピーしました