自己啓発

新渡戸稲造『修養』に学ぶ——志と日々の実行が、成功の両輪である

taka
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「志」と「実行」——どちらか一方では不十分

新渡戸稲造は『修養』の中でこう語ります。

「織物は縦糸だけではできない。
横糸があって、それが縦糸と交わることによって、はじめて美しい織物が完成する。」

この比喩が見事です。
志(こころざし)は人生の“縦糸”。
一方で、日々の実行は“横糸”。
両方が交わってはじめて、人生という美しい布が織り上がる——
それが新渡戸の伝えたい真理です。


志だけでは、現実は動かない

「志はあっても、それに向かって毎日こつこつと努力し、継続していかなければ、どんなこともものにはならない。」

新渡戸は、夢や志の大切さを認めつつも、**「理想だけでは何も実らない」**と警告します。
志を持つ人は多い。
しかし、それを「毎日の行動」に落とし込める人は少ない。

たとえば——

  • 「いつか本を書きたい」と思っても、毎日一行も書かない。
  • 「健康になりたい」と言いながら、生活を変えない。
  • 「人の役に立ちたい」と願いつつ、目の前の小さな行動を怠る。

新渡戸は、こうした“言葉だけの志”を最も戒めています。
志を実現する唯一の道は、地道な実行である。


「実行」だけでも、方向を見失う

新渡戸は、実行の重要性を説く一方で、こうした警句も暗に含んでいます。
——志のない実行は、ただの作業に終わる。

目的を見失った努力は、迷走を招きます。
ただ働き続けるだけでは、進む方向がずれてしまう。

だからこそ、「志」と「実行」は常にセットでなければならない。
志が“進む道”を示し、実行が“その道を歩む足”となるのです。


成功とは、「志と実行」が重なり続けること

「志と日々の実行こそが成功の両輪なのだ。」

この「両輪」という表現が、新渡戸の哲学の核心です。
車の片方の車輪だけが回っても、前には進みません。
志だけでも、努力だけでも、人生は動かない。

成功とは、この二つが絶えず噛み合って動き続ける状態。
つまり、理想を忘れず、現実をおろそかにしない
このバランスが取れてこそ、人生は前進します。


「志」は方向、「実行」は習慣

新渡戸の言葉を現代風に言い換えるなら、こうなります。

志は「コンパス」であり、実行は「足」。

どちらも欠かせません。

志を持てば、努力に意味が生まれる。
努力を続ければ、志が形になる。
そしてそれを続けることで、人間としての「修養(成長)」が進むのです。

彼のいう“修養”とは、知識ではなく生き方を整える力
志と実行の両輪を保つことは、まさに人間修養の核心なのです。


現代社会で失われつつある「両輪のバランス」

現代人は、情報や理想にあふれています。
しかし同時に、「行動する時間」が減っているとも言えます。
SNSで目標を語り、理想を共有することは簡単です。
けれど、実際に“手を動かす”人は少ない。

一方で、日々の忙しさに追われ、目的を見失う人も多い。
仕事に追われるうちに、「自分は何のために頑張っているのか」がわからなくなる——。

新渡戸の言葉は、そんな現代人への処方箋です。

「志(理想)を持ちつつ、毎日一歩でも実行せよ。」

この一行こそ、どんな時代にも通じる人生の鉄則です。


まとめ:志を立て、今日の一歩を進め

新渡戸稲造『修養』のこの一節は、
夢を描くだけで終わらせないための“生き方の指南”です。

「志と日々の実行こそが成功の両輪なのだ。」

志があるからこそ努力に意味があり、
努力があるからこそ志が現実になる。

今日の一歩は小さくてもいい。
しかし、その一歩が、理想への道を確かに前進させる。

志を胸に、足を止めずに歩き続ける——
それこそが、新渡戸稲造の説いた「修養」の本質であり、
真の成功への道なのです。

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ABOUT ME
TAKA
TAKA
理学療法士/ビール
理学療法士として臨床に携わりながら、リハビリ・運動学・生理学を中心に学びを整理し発信しています。心理学や自己啓発、読書からの気づきも取り入れ、専門職だけでなく一般の方にも役立つ知識を届けることを目指しています。
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