新渡戸稲造『修養』に学ぶ——他人の成功を妬まない心を持て
「他人の得=自分の損」と感じる心——それが“劣情”である
新渡戸稲造は『修養』の中で、こう語ります。
「世の中を見ていると、人がお金を儲けると自分の分を取られたように感じたり、
人が名誉を受けると自分が侮辱されたように感じたり、
人が昇格すると自分が降格されたように感じたりする人が多い。」
誰かの成功や幸せを見たときに、「自分は損をしたような気持ちになる」。
これは人間なら誰にでもある感情かもしれません。
しかし新渡戸は、はっきりとそれを「劣情(れつじょう)」と呼び、
**“心の品位を下げる感情”**として戒めています。
彼の言う「劣情」とは、
- 嫉妬
- 羨望
- 他人の不幸を喜ぶ気持ち
といった、人間の中の負の感情を指します。
「劣情」は人を小さくし、心を貧しくする
「人が得するのを自分の損のように感じる心性であり、これが一歩進むと、人の不幸を喜ぶ劣情となってしまうのだ。」
この一文に、新渡戸の人間観が凝縮されています。
最初は「羨ましい」という軽い感情でも、
放っておけばそれは「嫉妬」へ、そして「他人の不幸を願う心」へと変わってしまう。
新渡戸はそれを“人間の心を腐らせる毒”と見なしています。
嫉妬の感情に支配されると、
- 自分の努力を怠る
- 他人を批判して安心する
- 比較の中でしか価値を見いだせなくなる
こうして、心の自由が失われていくのです。
「他人の幸せは、自分の不幸ではない」
新渡戸の思想の根底には、**「人の幸せは、自分の幸せを奪わない」**という確信があります。
誰かが成功したからといって、自分の価値が下がるわけではない。
むしろ、他人の努力や成功から学びを得て、自分を磨く糧にできる。
彼にとって“修養”とは、
他人と比べることではなく、自分の中に向かうこと。
嫉妬や劣情に囚われる人は、
外の世界ばかり見て、内なる心を見失っている。
その意味で新渡戸は、劣情を克服することを「自己修養の第一歩」として位置づけています。
「心の広さ」が人間の品格を決める
新渡戸が理想としたのは、人の成功を心から喜べる人間です。
それは決して簡単ではありません。
しかし、その姿勢こそが「心の高潔さ」をつくるのです。
- 他人の喜びを自分の喜びにできる
- 成功者をねたむのではなく、励みにする
- 人の長所を見つけ、素直に敬う
こうした姿勢が身についたとき、
人間の器は大きくなり、人生が豊かになります。
新渡戸は“嫉妬を超える人間”を、真に修養された人物として尊びました。
現代社会における「劣情」のかたち
SNSが発達した現代では、
他人の成功・富・幸福が絶えず目に飛び込んできます。
それに伴い、「なぜ自分だけ…」という気持ちを抱く人も増えました。
しかし、新渡戸の言葉を現代風に言い換えるなら、こうなります。
「他人の投稿は、あなたの価値を下げるものではない。
それを見て心がざわつくのは、あなたの中の“劣情”が反応しているだけだ。」
つまり、嫉妬は外から生まれるのではなく、内側に育つのです。
だからこそ、それを抑えるには「自分の心を整える修養」が必要なのです。
嫉妬を“感謝”に変える修養法
新渡戸の思想を現代に活かすなら、
劣情を克服するための第一歩は「感謝」にあります。
- 他人の成功を見たら、「よくやった」と素直に言葉にする
- 自分にないものではなく、「今あるもの」に目を向ける
- 比較ではなく、成長に焦点を当てる
感謝の心を持つことで、嫉妬の炎は自然と鎮まります。
それは、自分の人生を“他人の尺度”から解放することでもあるのです。
まとめ:人の幸せを喜べる人は、心が豊かである
新渡戸稲造『修養』のこの章は、
人間の心の弱さを正直に見つめ、その克服の道を示しています。
「他人が得をすると自分が損をしたように感じるのは劣情だ。」
この短い言葉の中には、
比較や嫉妬に苦しむ現代人への深いメッセージが込められています。
人の成功を喜べる人は、心が広く、穏やかで、幸福です。
他人の幸福を見て微笑むことができる——
それこそが、新渡戸稲造の言う「修養の到達点」なのです。
