新渡戸稲造『修養』に学ぶ——苦しさも楽しさも自分の心が作り出す
「苦しいのも楽しいのも、心が作る」——新渡戸稲造の人生観
新渡戸稲造は『修養』で、こう述べています。
「苦しいのも楽しいのも自分の心の内部の作用であり、それが外に姿を表すのである。
人生の境地というのは、すべて自分の心が作り出したものだということを忘れてはいけない。」
この一文は、新渡戸の思想の中心といってもよいでしょう。
彼は、「幸福」や「不幸」は外的な状況ではなく、心の受け止め方によって決まると断言しています。
つまり、同じ出来事でも、
- 「苦しい」と思う人もいれば、
- 「これで学べた」と感じる人もいる。
違いを生むのは“出来事”ではなく、“心の持ち方”なのです。
「不幸」と思うか「解放」と感じるか
「世の中には、財産を失い名誉を傷つけられても泣き言一ついわず、
これでようやく重荷をおろすことができたと喜んでいる人もいるのだ。」
新渡戸が示すこの例は、心の在り方の力を端的に表しています。
財産を失う——多くの人ならそれを「不幸」と感じるでしょう。
しかし、それを「解放」と感じる人もいる。
この違いは、**外の状況ではなく“心の自由度”**によって生まれます。
どんな逆境も「新しい始まり」として受け止められる人は、
環境に支配されず、常に平安を保つことができるのです。
「人生の境地」は、自分の心が決める
「人生の境地というのは、すべて自分の心が作り出したものだ。」
ここで新渡戸が語る「境地」とは、
単に楽観的であることではなく、人生に対する姿勢そのものを意味します。
彼はこう考えていました。
- 苦しいことを“試練”と受け止める人は、成長する。
- 同じことを“不運”と感じる人は、心が閉じていく。
つまり、「人生の質」は、心の解釈力によって決まる。
この考え方は、現代心理学でいう「認知の枠組み」や「マインドセット」とも一致しています。
「心の自由」こそ、最大の幸福
外の世界には、思いどおりにならないことが多い。
しかし、心の中は誰にも支配されない——これが新渡戸の信念です。
心の自由を持つ人は、
- どんな状況でも希望を見いだせる
- 批判や失敗に動じない
- 物事を客観的に見て判断できる
つまり、心が自由であることは、外的な成功よりも価値のある“精神の財産”なのです。
新渡戸が説いた「修養」とは、
まさにこの“心の自由”を手に入れるための鍛錬でした。
「苦しみ」も「楽しみ」も、同じ源から生まれる
新渡戸は、人間の感情を善悪で分けず、**どちらも「心の作用」**として捉えました。
苦しみも、心がつくり出すなら、楽しみも同じ心がつくり出せる。
たとえば、
- 仕事の失敗 → 苦しみではなく「学びの機会」
- 別れ → 終わりではなく「次への準備」
- 孤独 → 悲しみではなく「自分を見つめる時間」
このように、出来事の意味を変えるのは、心の視点の切り替えです。
それを意識できるようになることが、修養の実践です。
現代に通じる「心の整え方」
現代社会では、ストレスや不安を感じやすい環境に生きています。
しかし、新渡戸のこの教えは、まさに現代人への処方箋といえるでしょう。
「人生がうまくいっているかいないかの判断基準は、自分の内側に求めるべきものだ。」
他人の評価や社会の基準ではなく、
**自分の心が「今をどう感じているか」**を見つめ直すこと。
それが、ブレない生き方を支える心の土台となります。
まとめ:人生の明暗は「出来事」ではなく「心」が決める
新渡戸稲造『修養』のこの章は、
幸福とは外の条件ではなく、心の選び方であることを教えてくれます。
「苦しいのも楽しいのも、自分の心の内部の作用である。」
どんな状況でも、「これも自分の糧になる」と思える人は、
すでに幸福の境地にある。
そしてその境地は、修養によって誰もが到達できるもの。
苦しみを恐れず、心を磨きながら、
“人生の主導権”を自分の心に取り戻す——
それが、新渡戸稲造の語る「心の自由」の真意なのです。
