新渡戸稲造『人生雑感』に学ぶ——自分自身を信用せよ
「社会の信用」よりも、「自分への信用」を持て
新渡戸稲造は『人生雑感』の中で、こう述べています。
「社会の信用などはあってもなくてもいい。
人から褒められたと大きな顔をしたって、褒めた人が心底から褒めているかどうかはわからない。」
新渡戸は、人間が“他人の評価”にあまりに左右されすぎることを危惧していました。
社会的信用や評判は、他人がつくるもの。
それは風のように移ろいやすく、永続的な拠り所にはなりません。
だからこそ彼は言います。
「そんな社会の信用よりももっと大切なのは、自分自身を信用できるかどうかだ。」
つまり——
本当の信頼とは、他人から与えられるものではなく、自分の中から生まれるものなのです。
「他人の評価」は不確かであり、変わりやすい
新渡戸は、他人の評価を基準に生きることの危うさを見抜いていました。
他人は簡単に褒めもすれば、批判もします。
しかも、その多くは感情や状況に左右される。
「褒めた人が、心底から褒めているかどうかはわからない。」
この一言には、現代にも通じる深い洞察があります。
SNSの「いいね」や他人の承認を求めて疲弊する現代人にこそ、響く言葉です。
新渡戸が説くのは、**「他人の評価の不確かさを前提にせよ」**という冷静な視点。
外の声に一喜一憂するより、自分の内側の声を信じて生きること。
それが、真の自由と安定をもたらす生き方なのです。
「自分を信じる」とは、過信ではない
新渡戸が説く「自分自身を信用せよ」は、
自己中心的な過信や傲慢とはまったく違います。
彼の言う“自己信頼”とは、
- 自分の良心を信じる
- 自分の努力を信じる
- 自分の判断を尊重する
つまり、「正直に生きてきた自分」への静かな確信です。
自分の過去の誠実さを信じ、
これからも誠実に生きていこうという姿勢。
それが「自分を信用する」ということなのです。
「自分を信用できない人」は、何をしても不安になる
「いくら社会に信用があったって、自分自身を信用できないような者はろくな人間ではない。」
この言葉は厳しくも真実です。
どれだけ社会的に成功しても、
どれだけ他人から賞賛されても——
自分で自分を信じられない人は、決して心の平安を得られないのです。
なぜなら、他人の評価は常に変わるからです。
一方で、自分自身への信頼は、
努力・経験・誠実さによって少しずつ積み上げることができる。
新渡戸は、人間としての本当の「信用」とは、
他人から与えられる肩書きや名誉ではなく、
**自分の中にある「確かな芯」**だと説いているのです。
自分を信じるための修養——「小さな誠実」を積み重ねる
では、どうすれば自分を信用できるようになるのか?
新渡戸の答えは明快です。
それは、日々の誠実な行いを積み重ねること。
- 嘘をつかない
- 約束を守る
- 逃げずに努力する
- 人を思いやる
こうした小さな誠実の積み重ねが、
やがて「自分を信じられる心」を育てます。
つまり、自己信頼とは天から与えられるものではなく、自らの行いによって築かれるものなのです。
それが『修養』にも通じる、新渡戸の倫理的な一貫性です。
現代社会における「自己信頼」の意味
現代は、他人の意見が容易に届く時代です。
SNSでの批判、周囲との比較、評価の数値化——。
こうした社会では、自分を信じることの難しさが増しています。
しかし、新渡戸稲造のこの言葉を思い出してみてください。
「社会の信用などはあってもなくてもいい。」
それは、他人を無視せよという意味ではありません。
むしろ、他人の評価に依存しないだけの自立心を持てという教えです。
他人の声に耳を傾けながらも、
最後に自分の判断を信じて歩める人。
その人こそ、新渡戸が理想とした「修養ある人格者」なのです。
まとめ:自分を信じられる人が、本当に強い人
新渡戸稲造『人生雑感』のこの章は、
現代人の心を支える「静かな自信の哲学」です。
「自分自身を信用できないような者は、ろくな人間ではない。」
この言葉の真意は、「傲慢になれ」ではなく、
**「自分を信じるだけの生き方をせよ」**ということ。
他人の評価に頼らず、
自分の誠実さ・努力・判断を信じて進む人は、
どんな嵐の中でも揺るがない。
新渡戸稲造が語る“自己信頼”とは、
**「心の支柱を自分の中に持つ」**という、人生を支える最高の修養なのです。
