「死を恐れる心」は弱さではない――新渡戸稲造『人生雑感』に学ぶ「生を重んじる」生き方
死を恐れることは、人間らしさの証
新渡戸稲造は『人生雑感』の中でこう述べています。
誰でも死を恐れる。死を恐れるというのを、単に人間としての生物学的現象としてのみとらえるべきではない。
私たちは多かれ少なかれ「死」を恐れます。事故や病、老い、あるいは身近な人の死に直面したとき、胸の奥に不安や恐怖が湧くのは自然なことです。
しかし新渡戸は、それを「ただの本能」や「弱さ」として片付けてはいけないと言います。
死への恐れには、倫理的な意味がある――それが彼の主張です。
死を恐れる心=生を重んじる心
新渡戸は続けてこう語ります。
死を恐れるというのは生を重んじるということなのだ。
この一文は非常に深い洞察を含んでいます。
死を恐れるという感情の裏側には、「生きることを大切にしたい」「まだ果たすべきことがある」という思いが隠れているのです。
つまり、「死を恐れる」ことは「生を軽んじない」という証。
それは命に対する誠実さであり、真剣に生きようとする意志の表れなのです。
生を重んじるとは、「義務を果たす」こと
新渡戸はさらにこう続けます。
生を重んじるということは、生きてなすべき義務を十分に果たすということなのだ。
ここで言う「義務」とは、単なる社会的責任ではありません。
自分に与えられた役割を理解し、それを誠実に果たそうとする姿勢です。
たとえば――
- 家族や仲間を思いやる
- 自分の仕事を丁寧に行う
- 他者に対して誠実に生きる
これらの一つひとつが、「生を重んじる」具体的な行動です。
生きることを軽く扱わず、一日一日を大切にする。
その積み重ねこそが、人生を尊いものにするのです。
「死を恐れない」より、「生を全うする」
現代では、「死を恐れない強さ」や「覚悟を持って生きること」が美徳とされがちです。
しかし、新渡戸はそれとは少し違う角度から語ります。
彼にとって理想の生き方は、「恐れない」ことではなく、「恐れを理解し、その意味を受け止める」こと。
死を意識するからこそ、今を丁寧に生きようとする――その感覚が、彼のいう「生を重んじる」態度なのです。
死を恐れるのは、決して臆病だからではありません。
それは、命に誠実でありたいという心の証なのです。
現代に生きる私たちへのメッセージ
忙しさに追われる現代では、「生きることの意味」を考える時間すら持てない人も多いでしょう。
しかし、新渡戸の言葉はそんな私たちに問いかけます。
あなたは、今の一日をどれだけ大切にしているか?
あなたは、自分の生をどれだけ尊んでいるか?
死を遠ざけ、避けて通るのではなく、静かに向き合うことで見えてくるものがあります。
それは、生をよりよく使うための覚悟です。
死を恐れることは、生の価値を知ること。
死の存在があるからこそ、私たちは今日を精一杯生きようとするのです。
まとめ:死の恐れが、生の力になる
新渡戸稲造の「死を恐れるのは生を重んじることだ」という言葉は、単なる精神論ではなく、人間の根源的な在り方を示しています。
- 死を恐れるのは、命を尊いと思うから
- 生を重んじるとは、与えられた義務を果たすこと
- 恐れを否定せず、生きる力へと変える
この考え方は、現代の私たちにも通じる深い哲学です。
恐れを抱えながらも、誠実に、丁寧に生きること。
それこそが、人生を「重んじる」最も人間らしい姿ではないでしょうか。
