「善も悪も、心のもちようで変わる」――新渡戸稲造『世渡りの道』に学ぶ、前向きに生きる心の哲学
「絶対的な善も悪もない」――新渡戸の相対観
新渡戸稲造は『世渡りの道』の中でこう述べています。
この世には絶対的な善も悪もない。どんなことでも、善にも悪にも解釈できることが多い。心のもちようによって、物事はどうにでも取れるのだ。
この言葉には、人間の感じ方や価値観の多様さを認める姿勢が込められています。
同じ出来事でも、ある人には「苦しみ」、別の人には「学び」となる。
つまり、物事の善悪を決めるのは“出来事”ではなく、“それをどう受け止めるか”という心の在り方なのです。
嫌なことも、受け止め方次第で変わる
新渡戸は続けます。
嫌だと思えば嫌なものになるし、素晴らしいと思えば素晴らしいものになる。
この一文には、人間の感情を支配するシンプルな法則が表れています。
たとえば――
- 忙しい日々を「つらい」と思えば苦しくなるが、
「必要とされている証」と思えばやる気が出る。 - 雨の日を「憂鬱」と思えば沈むが、
「自然の恵み」と思えば心が穏やかになる。
出来事自体は変えられません。
しかし、心の向け方を変えれば、世界の見え方が変わるのです。
「善意で解釈する」という人生の知恵
新渡戸は次のように語ります。
それが悪であると証明されないかぎりは、私はすべてを善意で解釈したいと思っている。
この言葉は、新渡戸の「人間信頼」に基づいた哲学を表しています。
世の中には、悪意ある人間や不正も確かに存在します。
しかし、それらを過剰に疑ってばかりいると、心が疲れ、人生が窮屈になります。
新渡戸の考えは、無防備な楽観主義ではありません。
**「相手を信じることを前提に、自分の心を平和に保つ」**ための姿勢です。
人を信じ、物事を善意で受け止めることで、怒りや不信といった負の感情を減らすことができる。
それが「世渡り」の極意でもあるのです。
善悪の「心のフィルター」を意識する
人は無意識のうちに、自分の感情や経験をもとに物事を判断します。
たとえば、同じ言葉をかけられても――
- 疲れているときは「嫌味」に聞こえ、
- 機嫌の良いときは「励まし」に感じる。
つまり、出来事の解釈は常に“自分の心の状態”に左右されるのです。
新渡戸のいう「心のもちよう」とは、まさにこの“解釈のフィルター”を整えること。
ネガティブな心で見れば世界は曇り、
善意と希望の心で見れば、世界は明るく映る――。
「明るい面を見る」ことで、人との関係も変わる
新渡戸はこう言います。
何事も善意で解釈すれば、嫌な人間に対しても不愉快な気持ちがなくなってくる。
これは、人間関係の本質を突いた言葉です。
他人の言動をすぐ「悪意」として受け止めると、心はすぐに疲弊します。
しかし、「きっと悪気はなかったのだろう」「自分の受け取り方かもしれない」と一歩引いて考えれば、心はずっと穏やかでいられる。
相手を善意で見ることは、相手を許すこと以上に、自分を守ることでもある。
それが、新渡戸の説く「世渡りの知恵」なのです。
「明るい面を見る」ことは甘さではない
新渡戸は、最後にこう結びます。
どんなことでも物事には明暗の両面があるが、できるだけ明るい面を見ていこう。
この言葉を、「悪を見逃せ」という意味に捉えてはいけません。
むしろ、「悪の中にも学びや救いを見出す力を持て」ということです。
悲しみの中に優しさを、失敗の中に成長を、苦しみの中に意味を見出す。
明るい面を見るとは、現実逃避ではなく、心の成熟によって希望を見つける力なのです。
現代社会に生きる「善意の視点」
SNSやニュースでは、ネガティブな情報や批判が溢れています。
そんな時代だからこそ、新渡戸の「善意で解釈する姿勢」がより大切です。
- 誰かのミスを責める前に、事情を想像してみる。
- 不運な出来事を「学びの機会」として受け止める。
- 不満よりも感謝の方に目を向ける。
このような視点の切り替えが、心の平穏を守り、人生の質を高めてくれます。
まとめ:善悪を決めるのは「出来事」ではなく「心」
新渡戸稲造の「善も悪も心のもちようで変わる」という教えは、
現代におけるストレスや人間関係の悩みにも深く通じます。
- 絶対的な善悪はない
- 出来事の解釈は、心の状態によって変わる
- 善意で解釈すれば、人生は明るく穏やかになる
人生は、自分の“心のレンズ”を通して見える世界そのもの。
だからこそ、新渡戸は言います――
「できるだけ明るい面を見ていこう。」
心を少し明るくすれば、世界もまた、少し明るく見える。
その積み重ねが、穏やかで豊かな人生を形づくるのです。
