古代ローマの哲学者エピクテトスは『語録』の中でこう述べました。
「神のはからいを責めたくなったときは、心の中でよく考えてみよ。そうすれば、起きたことにも道理のあることが分かるだろう。」
これは、私たちが不運や災難に見舞われたときでも、そこに隠れた意味や必然性があることを忘れるな、という教えです。
思い通りにいかないことをどう受け止めるか
私たちは誰しも、自分の計画や期待にとらわれがちです。仕事での昇進、人間関係のトラブル、病気や事故…。こうした予期せぬ出来事に出会うと、「なぜ自分だけが」と嘆きたくなるものです。
しかし、その視点は非常に限定的です。自分の思惑から外れたことが、実はもっと大きな視点から見れば理にかなっているかもしれない。つまり「不運の裏に、まだ見えていない幸運が隠れている」可能性を忘れてはいけないのです。
不運が幸運の始まりだった例
人生を振り返ると、一見すると最悪の出来事がのちに大きなチャンスをもたらすことは少なくありません。
- 就職の面接で落ちたからこそ、もっと自分に合った仕事に巡り合えた
- 失恋したからこそ、本当に大切にすべき人と出会えた
- 病気で立ち止まったからこそ、生活や価値観を見直すきっかけになった
そのときは苦しくても、時間が経つと「あの経験があったから今がある」と思えることは多いはずです。まさに「いつか帳尻が合う」ということです。
自分だけの視点から抜け出す
もうひとつ大事なのは、「自分だけが当事者」という思い込みを外すことです。自分の損は誰かの得かもしれず、自分の失敗は他人を助ける契機かもしれません。
ストア派は「宇宙には理性(ロゴス)があり、すべてはつながっている」と考えました。いま自分に降りかかった災難も、見えない因果の鎖の中で必然的に起きている。そう思えば、目の前の不運も冷静に受け止められるようになります。
予測できない「蝶の羽ばたき」
気象学のカオス理論で知られる「バタフライ・エフェクト」には、こんな比喩があります。
「地球の裏側で蝶が羽ばたいたことが、やがて遠い国のハリケーンの原因になる」
私たちの人生でも同じことが起きています。小さな選択や偶然の出来事が、思いもよらぬ未来を形づくっていく。だからこそ、「災難」に見える出来事も、まだ見ぬ幸運の前奏曲かもしれないのです。
「帳尻が合う」日を信じて生きる
エピクテトスの教えは、不運を単なる不幸として片づけず、「これは未来のどんな意味を持つのか」と考える姿勢を与えてくれます。
- 目の前の困難に過剰に嘆かない
- 長期的な視点で出来事をとらえる
- 自分を超えた大きな理の存在を信じる
こうした態度を持てば、どんな逆境も人生を豊かにする糧へと変わります。
まとめ ― 不運を未来への贈り物に変える
「ひどい目に遭った」と感じるとき、その出来事はまだ途中の出来事にすぎません。時間が経ち、全体の流れを見渡せば、そこには必然や学び、幸運の芽が隠れているのです。
だからこそ、今が苦しいときこそ思い出してください。
「いつか必ず帳尻が合う日が来る」と。