「愛国心を振り回すな」──新渡戸稲造『人生雑感』に学ぶ、理性ある愛国のかたち
「愛国心を振り回すな」──新渡戸稲造の冷静な警鐘
新渡戸稲造は『人生雑感』の中でこう語ります。
「英国の文豪サミュエル・ジョンソンに、『愛国心は悪党どもの最後の隠れ場である』という有名な言葉がある。」
一見、刺激的で極端にも思える言葉ですが、新渡戸はそこに「深い真実がある」と指摘します。
なぜなら、愛国心という美しい言葉が、しばしば利己的な目的や暴力的な感情の隠れ蓑になることがあるからです。
愛国心は「美しい言葉」でありながら、危うい力を持つ
新渡戸は続けます。
「愛国心というのは、泥棒だろうが、殺人だろうが、放火だろうが、何であれ、すべての悪魔、悪党が隠れることができる危険なものだ。」
ここで語られているのは、「愛国心そのものが悪」なのではありません。
むしろ、愛国という言葉を利用して自分の正義を正当化する危うさへの警告です。
歴史を振り返っても、「国のため」という名目のもとに、多くの悲劇や争いが起こってきました。
それは遠い過去の話ではなく、現代の社会やネット空間にも通じる問題です。
「愛国」を叫ぶ前に、まず冷静であれ
新渡戸は私たちにこう呼びかけます。
「私たちも一時の感情に駆られてむやみにこの愛国を振り回すことなく、感情を静めて、冷静になりたいものだ。」
つまり、愛国とは感情で叫ぶものではなく、静かに実践するもの。
国を思う気持ちを持つことは尊いですが、それを他者を傷つける武器にしてはいけない。
真の愛国とは、「自国を愛するあまり他国を憎む」ことではなく、
「自国をよりよくするために、自分が誠実に生きること」なのです。
真の愛国とは、「行動」で示すもの
新渡戸は、表面的なスローガンや感情的な愛国を否定しました。
彼にとって愛国とは、日々の小さな誠実さと責任感の積み重ねです。
- 他人に誠実に接する
- 自分の職務を全うする
- 社会の秩序を守る
- 公共の利益を優先する
これらはすべて、静かで実践的な愛国の形です。
国を愛するとは、国民としての品格と良識を守ることでもあるのです。
「理性ある愛国心」が、真の平和をつくる
愛国心は本来、国をより良くしようとする高貴な感情です。
しかし、それが理性を失えば、排他や暴力へと転じてしまう。
新渡戸の教えは、感情よりも理性を、対立よりも理解をというメッセージです。
真に国を思うなら、感情的に敵を作るよりも、冷静に自分の責任を果たすこと。
それが、社会全体を穏やかに変えていく「成熟した愛国心」です。
現代へのメッセージ:「静かな愛国」を生きる
SNSやメディアでは、「愛国」や「正義」をめぐる意見の対立が絶えません。
しかし新渡戸が生きた明治の時代にも、すでに「愛国心の誤用」は問題視されていました。
彼の言葉は、まるで今の時代に向けて語られているようです。
「感情を静めて、冷静になりたいものだ。」
感情的に争うより、理性をもって行動する。
声高に叫ぶより、静かに誠実に生きる。
そうした“静かな愛国”こそが、新渡戸の描いた理想の姿なのです。
まとめ:愛国心は、内に燃やすものであって振り回すものではない
『人生雑感』のこの一節は、現代における“愛国”の意味を再考させてくれます。
- 愛国心は誇るべき感情でありながら、扱いを誤れば危険な力にもなる。
- 真の愛国とは、他者を排除することではなく、自らを律すること。
- 感情ではなく理性によって、社会をよりよくすること。
愛国心は、外に振りかざすものではなく、静かに自分の中で燃やすもの。
新渡戸稲造のこの言葉は、今なお、分断の多い社会において私たちに必要な「冷静な情熱」を教えてくれます。
