自己啓発

老子が語る「私の言葉をわかる人はいない」|本質を貫く人が理解されない理由

taka
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「わかりやすいのに、誰もわからない」

老子はこの章で、こう嘆きます。

私の言葉は、はなはだわかりやすく、はなはだ行いやすい。
ところが、これをしっかりとわかる人はおらず、
ましてや、これをよく行う人はいない。

老子の教えは、一見とても単純です。
「自然に従え」「無理をするな」「執着を捨てよ」──。

けれども、シンプルであるがゆえに難しいのです。
人は複雑な理屈や派手な方法論を求め、
静かで地味な真理を見過ごしてしまう。

老子の言葉が「わかりやすいのに理解されない」のは、
人の心が“簡単すぎること”を受け入れられないからなのです。


「すべてには大本(おおもと)がある」

老子は続けて言います。

言葉にはその大本となるものがあり、
ものごとにはそれを統べる中心がある。

つまり、老子の教えは単なる道徳ではなく、
万物を貫く「道(タオ)」の原理に基づいているということです。

たとえば、

  • 木の成長には「根」という中心があり、
  • 音楽には「調和」という原理があり、
  • 人生には「自然に流れるリズム」がある。

老子の言葉は、この**宇宙的な“根”や“中心”**を指しているのです。

しかし人は、多くの場合、
“枝葉”に気を取られ、“根”を忘れます。
だからこそ老子は、「私の言葉を理解する者は稀だ」と語るのです。


「わかる者は稀」──孤独を恐れない心

老子はさらにこう続けます。

わかる者は稀であり、
それゆえ、私に倣う者はほとんどいない。

老子は、真理を追う者は孤独であることをよく知っていました。

世の中の大多数は、常識や流行、他人の価値観に流されます。
しかし、道(タオ)に生きる者は、それらを超えて歩む。

だからこそ、
「理解されないこと」こそが、むしろ“正しい道を歩んでいる証”なのです。

現代でも、
・周囲と違う考えを持つ人
・本質的なことを考える人
・他人に迎合しない人
は、しばしば“浮いた存在”になります。

でも老子は、それを恐れるなと言うのです。


「粗末な衣に、玉を懐く」

老子は章の最後に、美しい比喩で聖人を描きます。

そういうわけで聖人は、
粗末な衣服を纏って、心に玉を懐くのだ。

外見は質素であっても、心の中に宝石のような真理を持つ。
これが、老子が理想とする人の姿です。

現代の社会では、
“見た目の華やかさ”“結果の速さ”“数字の大きさ”が評価されがちです。

しかし老子は、真に価値あるものは内側にあると教えます。

派手さではなく、誠実さ。
言葉よりも、静かな実践。
それが「粗衣にして玉を懐く」生き方です。


老子の言葉が理解されにくい理由

老子の思想が理解されにくいのは、
それが「知識」ではなく「体験」だからです。

たとえば、
「無理をするな」という言葉を理解するには、
実際に“無理をやめて生きる”という体験が必要です。

老子の教えは、読んで理解するものではなく、
静かに生きながら、感じ取るもの。

だからこそ、老子は“わかりやすいが、行う人はいない”と嘆いたのです。
理解されないことを悲しまず、
自らの中に真理を生きることを重んじる。
それが、老子のスタイルでした。


現代を生きる「老子の弟子」として

もしあなたが、

  • 周囲の価値観に違和感を覚える
  • 流行よりも本質を求める
  • 静かに生きたいと願う

そう感じているなら、
あなたはすでに“老子の弟子”の一人かもしれません。

老子は、理解されないことを恐れず、
内なる玉(本質の光)を大切にせよと教えています。

外の喧騒に惑わされず、
静かな中で本当の道を感じる。
それが、「わかりにくい言葉」を生きる唯一の方法です。


まとめ|「理解されない人」は、本質に近い

老子の第70章が伝えるのは、
**「理解されないことは、間違いではない」**という励ましです。

  • 真理はシンプルすぎて、複雑な人には見えない。
  • 本質を貫く人は、いつの時代も少数派。
  • 派手さよりも、静かな誠実さを選ぶ人が“本物”。

「聖人は、粗末な衣服を纏って、心に玉を懐く。」
――老子『道徳経』第70章

理解されなくても、笑われても構わない。
自分の中に“玉”を持って生きる人こそ、老子のいう“聖人”なのです。

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ABOUT ME
TAKA
TAKA
理学療法士/ビール
理学療法士として臨床に携わりながら、リハビリ・運動学・生理学を中心に学びを整理し発信しています。心理学や自己啓発、読書からの気づきも取り入れ、専門職だけでなく一般の方にも役立つ知識を届けることを目指しています。
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