老子に学ぶ「殺による支配の逆効果」|恐怖で統治すれば災いは巡ってくる
恐怖で縛る統治は、必ず自分を滅ぼす
老子は率直だ。
「殺によって民を支配するなら、その惨禍は自分に降りかかってくる」と断言する。
ここで「殺」は文字どおりの殺戮だけでなく、脅し、暴力、威圧、恐怖による統治一般を指していると読み替えられる。
なぜなら、人は「死を畏れなければ」脅されない。
つまり、統治側が恐怖を道具にして人を従わせられるのは、民がすでに死や罰を恐れているからだ。
だがその構造を巧妙に演出する者──人為的に恐怖を作り出す者──は、天(運命・自然)の役割を奪い、不自然な秩序を成立させるに等しい。老子はそれを厳しく批判する。
人為的な暴力は“木こりが名人の代わりに樹を伐る”ようなもの
老子は鮮やかな比喩を用いる。
「木こりの名人に代わって樹を伐る者で、自らの手を傷つけないものはいない」。
熟練者がその道理をわきまえて行う所作と、技術や道理を無視して力任せに行う所作は違う。力ずくで人を抑える者は、必ず自らを傷つける。
現代の組織に置き換えれば、強圧的なマネジメントやパワハラは短期的には成果を上げるかもしれないが、長期的には反発、離職、信頼崩壊という形で自分(組織)に返ってくる。老子はそれを「惨禍が自分に降りかかる」と表現したのだ。
真の統治は「恐れ」を土台にしない
老子が望むのは、恐怖で縛る支配ではない。民が「死を畏れない」社会――つまり尊厳と安心が保たれた関係である。
リーダーは脅すのではなく、信頼を築き、民の生活や生業を圧迫しないことで自らの権威を保つべきだ。
圧迫がなければ、民は「厭わない」──嫌悪や抵抗が生まれない。これが持続可能な統治の条件である。
現代の教訓:力を使う前に自問せよ
- あなたの権力行使は「必要」か?
- それは誰のためで、誰に負担を強いるのか?
- 短期の服従と長期の信頼、どちらを選ぶか?
老子は、人為的に恐怖を作り出す者を厳しく非難した。現代のリーダーにも同じ問いが突きつけられている。力で黙らせるのは簡単だが、そこに築かれるのは砂の城だ。やがて風が吹けば崩れる。
まとめ|抑圧は最終的に自らを滅ぼす
老子第74章が投げかけるメッセージは明瞭だ。
「殺(暴力・脅し)を用いる統治は、最終的にその者自身を滅ぼす」。
長期的な安定と真の権威は、恐怖ではなく尊重と安心の上に築かれる。
現代の政治、経営、リーダーシップにとって、老子の警句はなお強く響く。
