「真のエリート」とは何か?『菜根譚』に学ぶ、社会的地位にふさわしい生き方
『菜根譚』に見る「真のエリート」の姿とは
「エリート」という言葉は、現代では学歴や職業的成功を指すことが多いですが、『菜根譚』の作者・洪自誠(こうじせい)は、もっと深い意味を込めています。
彼が言う「真のエリート」とは、社会の中で高い地位を得た者が、その立場を自分のためではなく、世の中のために活かす人のことです。
幸いにも、選ばれて社会的に高い地位につき、豊かな生活を保障されているのに、人のためになるような発言も仕事もしないようでは、どうしようもない。
この一節には、社会的地位にある者への痛烈な批判が込められています。
高い地位や報酬を得ること自体が悪いわけではありません。問題は、その地位をどう使うかにあります。
地位と責任はセットである
『菜根譚』の時代も現代も、社会の上に立つ者には「責任」が伴います。
組織のリーダーであれ、専門職であれ、影響力を持つ人は、他者に良い影響を与える行動を求められます。
例えば、企業の経営者が利益を追うだけでなく、社員の働きがいや社会への貢献を考える姿勢。
あるいは、医師や教師が知識や技術を独占せず、次世代へ惜しみなく伝える姿勢。
これこそが、『菜根譚』が説く「真のエリート」のあり方です。
「選ばれた者」である自覚を持つ
エリートという言葉は「選ばれた者(élite)」という意味を持ちます。
しかし、洪自誠が言う「選ばれる」とは、社会的に選ばれることよりも、内面的な覚悟を持つことです。
つまり、「自分は社会の中で何を果たすべき存在なのか」を意識し、日々の行動で示していくこと。
その自覚を持たないまま地位や名誉に酔う人は、たとえ長く生きても「一日生きた値打ちさえない」とまで断じられています。
この厳しい言葉は、現代社会にも通じます。
役職や収入だけで「成功者」と呼ばれても、他者に何も還元していない人は、真の意味での成功者とは言えないのです。
現代に生きる私たちへのメッセージ
この教えを、今の私たちの生活や働き方に置き換えるとどうでしょうか。
私たちは皆、何らかの「役割」を持って社会に関わっています。
それは、組織で働く人、家庭を支える人、地域活動をする人、どんな立場でも同じです。
重要なのは、**「自分の力を他者のためにどう使うか」**という視点を持つこと。
自分の成功だけを追うのではなく、周りの人を少しでも良くする意識を持つことで、結果として自分も成長し、信頼を得るのです。
まとめ:真のエリートとは「利他の心」を持つ人
『菜根譚』の教えは、地位や学歴、年収といった外的な要素ではなく、**「人としてのあり方」**を問います。
真のエリートとは、
- 自分の立場を社会のために活かす人
- 責任と誠実さを持って行動する人
- 成功を分かち合うことで、周囲をより良くする人
このような人こそが、百年の人生にも勝る「価値ある一日」を生きている人なのです。
