「インバウンド」で揺れる日本―― なぜ観光頼みになったのか、私たちが考えるべきこと
今日は「インバウンド」について、改めて考えてみたいと思います。
今、私たちが最も感じているのは「インバウンドが増えすぎてるんじゃないか?」という違和感です。観光客が増えるのはいいことかもしれませんが、私たちの生活の質や文化、公共空間の使われ方まで変わってきている。そこを無視して「成長戦略」としてインバウンドを持ち上げ過ぎているなと、強く思うのです。
思い返せば、安倍政権の頃、2013年6月に「外国人観光客を増やそう」という方針が閣議決定され、それ以来ビザ規制緩和も進み、どんどん数が増えてきました。統計を見れば、観光収入は確かに成長しています。しかし、果たして日本国民がそれによって豊かになっているかと言えば、違和感が残る。
例として出された数字があります。インバウンドによる消費で「8.1兆円」のインパクトがあるという統計。それに対して日本全体のGDPは600兆円を超える。要は、インバウンドの影響は“誤差レベル”ではないかという議論です。それなのに、インバウンドを“成長の主軸”のように扱うのはちょっと違うだろう、と私は思います。
もっと根本的には、これは縮小財政、デフレ、産業空洞化という複合問題の中から出てきた“成長ネタ”だと見ています。政府が本来すべき投資、あるいはインフラ整備や国内産業強化を後回しにして、目先でできそうな“観光頼み”に舵を切ったという構図です。
もちろん、観光資源は宝です。美しい自然、伝統、文化、建築…それは日本人の先人が残してくれたものであり、それを活かすこと自体は否定しません。ただ、それを「売り物」にしすぎてしまえば、文化が消費財化するリスクもあります。日本側がどこか迎合するような姿勢を取って、お客様向けに作られた看板や多言語表記が街の景観や空気を変えていく。そういう変化が、なんか寂しい。
だから私は思うのです。「インバウンド、0にしよう」と。いや、もちろん完全にゼロとは言いません。でも、受け入れ方を根本から変えたほうがいい。外国人観光客には一定の負担を求めるという考えもあっていいと思います。入国税を高めにする、あるいは観光客向けサービス料を設ける。許容される範囲で、相応の対価を支払ってもらう。それは悪ではない。
観光は「輸出」の一形態です。外国人に日本で消費してもらうわけだから。ですが、以前は日本の旅行需要が外国よりも大きく、旅行収支はマイナスでした。日本人が海外で多く消費していたということです。これが逆転して今は黒字に転じていますが、それでも規模としてはGDP全体のほんの一部。8兆円規模。これを“主役”にはできない。
だからこそ、私たちが選択すべきは、観光頼みではない「本質的な成長戦略」です。製造業や輸出産業を強化し、インフラを整備し、国民の技術力を底上げし、内需を育てる。それがあってこそ、観光を付加価値にできる。
結局のところ、インバウンドを強調しすぎるのは、縮財・デフレ政策が行き詰まり、成長のネタがなくなったからだと私は思います。国民を犠牲にしながら、観光頼みの輸出型モデルに偏るのは、本末転倒です。
日本の政治は変えられます。情報武装をして、常に問い続けましょう。「本当にこれでいいのか?」を。
変えられるという自覚を、私たちが持っていきたいと思います。
この情報が皆さんのお役に立てば幸いです。
