自己啓発

人間だけが人に譲ることができる|幸田露伴『努力論』に学ぶ“譲る力”の尊さ

taka

「譲る」という行為は、人間だけにできること

「譲る」という言葉には、どこか“弱さ”や“損をすること”のようなイメージがあります。
しかし、幸田露伴の『努力論』を読むと、その考えは一変します。

露伴はこう語ります。

自分を抑えて人に譲る。このようなことは他の動物にはできないことであり、人間だけができることだ。

つまり、**譲るという行為は、人間にしかできない“高次の能力”**だというのです。

動物は本能のままに生き、欲望に忠実です。
食べ物も、縄張りも、パートナーも――すべて「奪う」ことで生き延びます。

しかし人間だけは、「欲しいけれど譲る」「できるけれど控える」という選択ができる。
それは理性と道徳を備えた“人間らしさの証”なのです。


「譲ること」は、我慢ではなく強さ

譲るという行為は、一見すると“我慢”のように思えます。
けれど、露伴が伝えたいのは、ただの忍耐ではありません。

物が足りなくても満足し、欲望を満たせなくても我慢できるというのは、
他の動物にはない、人間だけに与えられた崇高な能力なのである。

つまり、譲ることとは「自分をコントロールする力」、
言い換えれば**“自制の力”=人間の成熟の証**なのです。

譲る人は、感情に流されず、理性で判断する人。
相手の立場を尊重し、未来を見据えて行動できる人。

露伴はそこに、人間の美徳と強さを見ています。


「譲る心」がもたらす3つの福

譲る力を持つ人は、不思議と人や運に恵まれます。
露伴が説いた“惜福・分福”の思想にもつながるように、
**譲る心は「福を呼ぶ心」**でもあるのです。

では、「譲る人」にどんな福が訪れるのか。3つにまとめてみましょう。

① 人間関係の福

譲る人は、争わず、穏やかに人と関われる。
それによって信頼が生まれ、周囲の人から自然と助けられます。
譲り合いの中にこそ、長く続く人間関係の土台があります。

② 心の福

「奪う」よりも「譲る」ほうが、心は穏やかになります。
欲望を抑えることで、満足は“外”ではなく“内”から生まれる。
結果、ストレスが減り、心が安定していきます。

③ 運の福

譲る人は、自分の運を独占せず、他者にも流す。
その流れがやがて巡り、また自分に戻ってくる。
露伴の言う“福の循環”とは、まさにこの原理です。


譲ることを「損」と感じる人へ

現代社会では、「競争」や「自己主張」が重視されがちです。
その中で「譲る」という姿勢は、時に“負け”のように見えるかもしれません。

しかし、露伴の言葉は静かに私たちに問いかけます。

譲ることは、弱さではない。
欲望に支配されず、自分を制御できる強さである。

他人に勝つよりも、自分の欲に勝つほうが難しい。
だからこそ、譲る人は「勝者」なのです。

実際、譲る力のある人ほど人に好かれ、信頼を得て、
長期的に見れば“人生の成功者”になっています。


「譲る力」は現代のストレスを和らげる

露伴が説いたこの思想は、現代のストレス社会にも通じます。
SNSでは「他人と比べる」ことが当たり前になり、
誰もが自分の正しさや成果を主張し続けています。

そんな中で、「譲る」「受け入れる」ことができる人は、
心の平穏を保てる希少な存在です。

心理学でも、「他人を許す」「欲を抑える」ことが幸福度を高めるとされています。
つまり、露伴の教えは**人間の幸福を保つ“精神の筋トレ”**なのです。


まとめ|譲る力こそ、人間らしさの証

幸田露伴『努力論』の「人間だけが人に譲ることができる」は、
人間の本質を突いた、時代を超えるメッセージです。

欲望を抑え、人に譲ることができるのは、人間だけに与えられた崇高な能力である。

譲ることは、我慢ではなく、理性の証。
そして、他人を思いやり、自分を律する力です。

競争が激しい時代だからこそ、
譲ることを恐れず、むしろ“人間らしさを発揮する行為”として大切にしたいものです。

譲ることができる人こそ、真に強く、豊かな人。
その心が、あなたの人生に静かな福を呼び込んでいくのです。

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ABOUT ME
TAKA
TAKA
理学療法士/ビール
理学療法士として臨床に携わりながら、リハビリ・運動学・生理学を中心に学びを整理し発信しています。心理学や自己啓発、読書からの気づきも取り入れ、専門職だけでなく一般の方にも役立つ知識を届けることを目指しています。
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