好きなことをするのにも努力が必要だ|幸田露伴『努力論』に学ぶ“情熱を続ける力”
「好きだから努力しなくていい」は間違い
現代では「好きなことを仕事にしよう」「情熱があれば何でもできる」とよく言われます。
しかし、幸田露伴は『努力論』の中で、その考えに静かに異を唱えます。
どんなに園芸が好きな人でも、園芸作業をしていて苦痛を感じるときがあるだろう。
好きなことでも、苦痛や困難は避けられない。
それでもやり続けるためには、「努力」という意識的な力が必要だというのです。
「好き」と「楽しい」は違う
露伴は、“好きなこと”をしている人であっても、
時に寒さ・暑さ・虫害といった「不快」な状況に直面すると語ります。
好ましくないことが起きたときにも、自分の感情に打ち勝って目的に向かって進む、
それがまさに努力ということなのだ。
ここで露伴が教えているのは、
「好き」という感情は永遠ではないという現実です。
- どんなに絵を描くのが好きでも、上達しない時期は苦しい。
- どんなに仕事が好きでも、理不尽な出来事に遭うことがある。
- どんなに人が好きでも、意見がぶつかることはある。
つまり、「好き」と「楽しい」は別物。
“好きなこと”を長く続けるためには、楽しくない時間にも耐える覚悟が必要なのです。
「情熱を保つ人」と「途中で諦める人」の違い
露伴の言葉は、現代の心理学にも通じます。
モチベーションの研究では、**「感情的な好き」よりも「目的意識的な好き」**のほうが継続につながることがわかっています。
すぐに燃え上がる“感情的な好き”は、困難に直面すると消えてしまう。
しかし、“目的に基づく好き”――つまり「これを成し遂げたい」「誰かを喜ばせたい」という思いは、
困難の中でも自分を支え続けます。
露伴が説いた努力とは、まさにこの「感情に支配されない目的意識」のこと。
好ましくないことが起きたときにも、感情に打ち勝って進むこと。
この一文に、“好きなことを続ける人”の本質が凝縮されています。
「好きなこと」を続ける3つの努力のステップ
露伴の思想を現代的に言い換えると、
“情熱を持続させるための自己管理術”とも言えます。
ここでは、好きなことを途中で投げ出さないための3つの努力ステップを紹介します。
① 「嫌な瞬間」も想定しておく
どんなに好きなことでも、壁にぶつかる瞬間は必ず訪れます。
最初から“苦しい時期”を織り込み済みで考えることで、
いざという時に「これは自然なことだ」と冷静に対処できます。
② 「小さな努力」を積み上げる
努力は気合ではなく、習慣の積み重ね。
一度に大きな成果を求めず、毎日少しずつ進める。
その積み重ねが「続けられる力」を生みます。
③ 「原点の好き」を思い出す
つらくなったときこそ、なぜそれを始めたのかを思い出す。
最初の感動・出会い・夢――原点を再確認することが、再び心に火を灯します。
努力は「苦しみ」ではなく「継続のための意志」
露伴のいう努力は、「無理して頑張ること」ではありません。
むしろ、“自分の好き”を守るための意志です。
努力しなければ、「好き」は一時の感情で終わってしまう。
努力があるからこそ、情熱は形となり、結果として喜びを生む。
つまり努力とは、「好き」を“持続可能な幸福”に変える装置なのです。
「努力」は、好きなことを守るための最強の味方
露伴は、努力を“高貴な行為”と表現しています。
それは、敵がいるから戦うのではなく、
目的のために静かに自分と向き合う行動だからです。
努力とは、敵の有無にかかわらず、最善を尽くす崇高な行為である。
「好きだから頑張れる」のではなく、
「努力できるから好きが続く」。
露伴のこの思想は、現代の“情熱至上主義”に一石を投じるメッセージです。
まとめ|“好き”を貫くには、努力という支えがいる
幸田露伴『努力論』の「好きなことをするのにも努力が必要だ」は、
情熱を現実に変えるための人生哲学です。
好ましくないことが起きたときにも、感情に打ち勝って目的に向かって進む。
それがまさに努力ということなのだ。
好きなことほど、途中で苦しくなる。
でも、そこを超えた先にこそ「真の好き」が待っています。
努力とは、情熱を一瞬の炎から、長く燃える灯火へと変える力。
露伴の言葉は、私たちにこう問いかけています。
あなたの“好き”は、努力によって守られていますか?
