好きなことをしていれば、自分の持ち味を発揮できる|幸田露伴『努力論』に学ぶ“自然体で輝く生き方”
好きなことに向かうエネルギーこそ“生きる力”
幸田露伴は『努力論』の中で、
「努力は苦しいだけのものではない」と語っています。
芝居の好きな人は芝居を観て、相撲の好きな人は相撲を観て、
そして、盆栽いじりの好きな人は盆栽をいじるのがいいのだ。
趣味というのは、人間の気を充実させ、生気を与えてくれる非常に大切なものだ。
露伴にとって「好きなこと」とは、
単なる娯楽ではなく**“心の養分”**でした。
人間は、好きなことに触れているときにこそ、
気(エネルギー)が満ち、生命力が強くなる。
それが結果的に、仕事や学び、人生そのものに良い影響を与える。
露伴は、**「好きなことをする=自分の気を整えること」**だと見抜いていたのです。
自然の法則に逆らわない生き方
露伴は、人間の“好き”という感情を、
自然の摂理になぞらえて説明します。
硫黄を好むナスには硫黄を与え、
きれいな水を好むワサビにはきれいな水を与える。
それぞれの持ち味や本性を最大限に引き出すためだ。
ナスとワサビは、それぞれ異なる環境でこそ生き生きと育つ。
同じように、人間にもそれぞれの「気質」や「持ち味」がある。
それを無視して、
他人の真似をしたり、
自分に合わないことを無理に続けたりすれば、
心の“気”が委縮してしまう――と露伴は言います。
「好きなこと」を否定すると、才能がしぼむ
露伴は、こうも警告します。
ナスにきれいな水を与え、ワサビに硫黄を与えるようなことをすれば、
両方とも気が委縮して、それぞれが本来もつ素晴らしい持ち味を出せなくなる。
これは、人間の生き方にもそのまま当てはまります。
たとえば、
- 「安定しているから」と言われた道を選んだが、情熱が湧かない。
- 「周りがそうしているから」と流れに乗ったが、心が疲れる。
このような選択は、ナスに清水を、ワサビに硫黄を与えるようなもの。
一見よく見えても、自分の“根”が枯れていくのです。
露伴は、「努力とは苦行ではなく、自然な方向へ伸びる力」だと考えていました。
好きなことをしているとき、人は最も集中し、最も努力できる。
そこにこそ、その人本来の“持ち味”が宿るのです。
「好きなこと」は甘えではなく“責任”
多くの人が「好きなことをして生きるなんて甘い」と思いがちです。
しかし、露伴はまったく逆の立場を取ります。
人間も自分の好きなことや趣味に素直に従っていけば、
自分の持ち味を存分に発揮できるようになるものだ。
つまり、「好きなことをする」ことは、自己の使命を果たす行為なのです。
好きなことをしているとき、人は努力を惜しまない。
時間を忘れて集中し、より良くしようと工夫する。
そのエネルギーが、結果的に他人や社会への貢献につながっていく。
露伴が言う「好きに従う」とは、
「怠ける自由」ではなく、「真剣に生きる覚悟」なのです。
“好き”を知ることが、自己理解の第一歩
露伴の思想は、現代の自己啓発やキャリア理論にも通じています。
「自分の好きなことがわからない」という人は多いですが、
実は“気が満ちる瞬間”を観察すれば、すぐに見えてきます。
- 時間を忘れるほど没頭できるものは?
- 話しているときに、自然と笑顔になれるテーマは?
- 苦労しても「もっとやりたい」と思える分野は?
それが、あなたの“ワサビ”であり、“ナス”なのです。
人はその「気」に従うとき、最も自然に努力でき、
結果として最も成長することができます。
自分の“持ち味”を生かす努力
露伴の教えの真髄は、好きなことを見つけた後にあります。
好きなことに素直に従えば、自分の持ち味を存分に発揮できる。
つまり、「好き」に出会ったら、それを“育てる努力”が必要なのです。
- 趣味を深めて技術を磨く
- 興味を知識に変える
- 仕事に応用して価値を生み出す
そうして“好き”が“力”に変わったとき、
人はようやく自分だけの「持ち味」で社会に貢献できるようになります。
まとめ|「好きに生きる」は、最も誠実な努力
幸田露伴『努力論』の「好きなことをしていれば、自分の持ち味を発揮できる」は、
“自分らしく努力する”ための普遍の哲学です。
人間も自分の好きなことや趣味に素直に従っていけば、
自分の持ち味を存分に発揮できるようになる。
好きなことに心を注ぐことは、怠けではなく成長の原動力。
自然の法則に逆らわず、自分の“気”が向かう方向へ努力を重ねる。
それが、幸田露伴の説く「生きる知恵」です。
ナスには硫黄を、ワサビには清水を。
そして、あなたには“あなたの好き”を。
そこにこそ、あなたの本当の力と幸福が咲くのです。
