福は“福を愛する人”のもとに集まる──幸田露伴『努力論』に学ぶ、豊かさを引き寄せる心のあり方
鳥は鳥を愛する家の庭に集まる
幸田露伴の『努力論』には、自然を通して人生の真理を説く美しい一節があります。
「鳥は鳥を愛する家の庭に集まり、草は草をすべて抜いてしまわず残しておく家の庭に茂るものだ。
これと同じように、福もまたこれを取り尽くさず、使い尽くさない人の手に集まるものなのだ。」
一見、素朴なたとえのように思えますが、そこには**“福を呼ぶ人の生き方”**が凝縮されています。
愛情がある場所に、自然と集まる
鳥は、鳥を大切にする家の庭にやってきます。
草花も、すべて抜かずに程よく残しておく庭に、自然と茂ります。
つまり「愛される環境には、同じものが集まる」という自然の摂理を表しています。
これを人間社会に置き換えれば、
- 人を大切にする人のもとには、人が集まる
- 感謝を忘れない人のもとには、助けが集まる
- 福を大切にする人のもとには、さらなる福が集まる
ということです。
幸運や人の縁は、無理に引き寄せるものではなく、**自然と寄ってくるような「心の状態」や「態度」**を育てることが大切なのです。
福を「使い尽くさない」人に、また福が集まる
露伴が最後に述べる「福もまた、これを取り尽くさず、使い尽くさない人の手に集まる」という言葉は、前章「惜福」にも通じる考え方です。
つまり、
「与えられた福を、すべて消費せず、少し残しておく」
という生き方です。
たとえば、
- 誰かに褒められても、自慢せずに感謝で受け止める
- ご縁を得たら、見返りを求めず誠実に応える
- 成功しても、すべてを独り占めせず、他者と分かち合う
こうした“節度のある行動”こそが、福を長く保つ秘訣です。
福を使い尽くしてしまう人は、次にチャンスが訪れたときに受け取る余白がありません。
一方、少し残しておく人のもとには、また新しい福が流れ込み、人生が自然と豊かになっていきます。
「与えすぎず、奪いすぎず」のバランスが大切
この一節は、自然との共生を例えにした「調和の哲学」でもあります。
草をすべて抜いてしまえば、やがて土が痩せて花も咲かなくなる。
逆に、何もしなければ雑草が繁茂してしまう。
つまり、「やりすぎない」ことが、自然と人間の調和を保つコツなのです。
人間関係でも同じです。
過剰に与えすぎても、奪いすぎても、関係は長続きしません。
相手を思いやりつつ、自分の中に“余白”を残すことで、心地よい距離感が生まれます。
福もまた、同じ。
「取り尽くさない」「使い尽くさない」というのは、謙虚さと節度の象徴なのです。
福を呼ぶ人の共通点
幸田露伴の教えを現代的に解釈すると、「福を呼ぶ人」には共通点があります。
- 感謝を忘れない人
与えられた恵みを当然と思わず、いつも感謝できる人。 - 分け与える人
チャンスや成果を独り占めせず、周囲と共有できる人。 - 控えめな人
自分の力や運を誇示せず、静かに努力を続ける人。 - 自然を愛する人
人だけでなく、草木や生き物への優しさを持つ人。
こうした人たちのもとには、不思議と人も機会も集まります。まさに「鳥は鳥を愛する家の庭に集まる」の通りです。
まとめ:福は、“使い切らない心”に集まる
幸田露伴のこの一節は、
「福は、福を愛する人に集まる」
という普遍的な真理を教えています。
鳥を追い払う家には鳥は来ません。
草を大切にしない庭には花が咲きません。
同じように、福を粗末に扱う人のもとには、福は長く留まらないのです。
一度訪れた幸運を大切にし、感謝と節度を持って生きる。
それが「福を呼び、福を守る」最も確かな方法なのです。
