広く浅くではなく、深く掘れ──幸田露伴『努力論』に学ぶ「深さ」の力
「深」──守備範囲を広げすぎるな
幸田露伴の『努力論』には、人が学びや仕事を通して成長するための「道」が、いくつもの漢字で示されています。
たとえば、「正」「大」「精」など。
そして今回の一節では、その中でも特に重要な「深(しん)」という言葉が取り上げられています。
露伴はこう語ります。
「井戸を深く掘れば水は必ず出てくるように、学問も深く探求すれば必ず結果が得られるものだ。」
この「深」という一字には、学び・仕事・人生すべてに通じる真理が込められています。
「深」は「大」とは違う
露伴はまず、「深」と「大」を対比させます。
「『深』は『大』とは違うが、これも学問を修めるときの目標とすべきものだ。」
「大」は、心を広く持ち、可能性を信じて成長する姿勢。
一方の「深」は、物事を掘り下げ、核心に迫る姿勢を意味します。
つまり、
- 「大」=成長の方向を“外へ”広げる力
- 「深」=成長の方向を“内へ”掘り下げる力
どちらも学びには欠かせませんが、現代人が見落としがちなのはこの「深」のほう。
情報があふれる時代だからこそ、露伴の「深く掘れ」という教えは、より一層の重みを持っています。
「広く学ぶ」だけでは、浅く終わる
露伴は、「守備範囲を広げすぎるな」と明確に警告しています。
「学問をするときに偏狭であってはいけないが、守備範囲を広げすぎて浅薄になってしまうのもいけない。」
現代では、“広く知ること”が価値のように語られがちです。
多くの分野に手を出し、最新の情報を追いかけ、幅広く知識を身につけようとする――。
しかし、露伴はその危うさを見抜いていました。
広く知るだけでは、理解は浅く、応用も効かない。
広さを追うあまり、どの分野も中途半端になってしまう。
それでは、学びも成果も“表面をなぞるだけ”で終わってしまうのです。
「深く掘る」者だけが本質をつかむ
露伴は、学問や仕事の本質を井戸にたとえました。
「井戸を深く掘れば水は必ず出てくる。」
浅い井戸では水は湧きません。
しかし、どんなに硬い地面でも、深く掘り続ければ必ず清水が出る。
この比喩が示すように、深さこそ成果の源泉です。
どんな分野でも、成果を出す人は一つのことを深く追い続けています。
- 職人が同じ技を何十年も磨く
- 研究者が一つのテーマを掘り下げ続ける
- 経営者が一つの理念を貫き通す
深さは、一朝一夕には得られません。
「続けること」こそが唯一の掘削道具なのです。
「深」は他の徳を支える
露伴は、「深」は「正」「精」「大」など他の要素を補い、高める働きを持つと述べています。
「『大』だけに努めて、『深』を求めなければ浅薄となる。
『精』だけに努力して、『深』を求めなければ停滞してしまう。
『正』だけを求めて、『深』を求めなければ、奥行きのないものになってしまう。」
これは非常に示唆に富む言葉です。
たとえば、
- 「大(広さ)」に偏ると、薄くなる。
- 「精(細かさ)」に偏ると、細部に囚われて動けなくなる。
- 「正(正しさ)」に偏ると、融通が利かず深みに欠ける。
つまり、どんなに知識が広くても、どんなに精密でも、どんなに正しくても、
「深さ」がなければ本物にはなれないということ。
「深」は、あらゆる努力の“奥行き”を生み出す土台なのです。
深さを身につけるための3つの姿勢
露伴の「深」の思想を現代風に言い換えると、次の3つの実践が挙げられます。
- 一点集中の時間を持つ
複数のことに手を出すのではなく、毎日少しでも「一つのテーマ」に没頭する時間をつくる。 - 「なぜ?」を繰り返す
表面的な理解で終わらず、常に「なぜそうなるのか?」を問う習慣を持つ。
問いの数だけ、思考の深さが増す。 - 続けることで“深さ”を掘る
深さは才能ではなく、時間の積み重ねによって生まれる。
やめない人だけが“深くなる”のです。
まとめ:広くではなく、深く掘れ
幸田露伴の「『深』──守備範囲を広げすぎるな」は、
「広さより深さが人を育てる」
という普遍の真理を語っています。
広いだけの知識や経験は、風が吹けば飛んでいく砂のようなもの。
しかし、深く掘り下げた知恵や技術は、時代が変わっても揺らがない“井戸の水”となる。
露伴の言葉は、今日の情報社会への警鐘でもあります。
「知識を増やすより、理解を深めよ。」
あなたの努力がまだ結果を出していなくても、それは浅い段階だから。
掘り続ければ、必ず“水”は湧きます。
だからこそ、焦らず、迷わず、深く――。
露伴が残したこの一字「深」に、努力の本質が凝縮されているのです。
