「逸る気」は成長を止める|幸田露伴『努力論』に学ぶ、焦らない努力のすすめ
「逸る気」とは何か
「逸る気(はやるき)」とは、気が急いて功を焦る心のこと。
幸田露伴は『努力論』の中で、この「逸る気」を戒めています。
「逸る気というのは気がせいて功をあせる気であり、長続きはしないものだ。」
つまり、何事にも“結果を早く求めすぎる心”が「逸る気」です。
最初は情熱に満ちていても、すぐに息切れして続かない。露伴はそれを、努力の落とし穴として警告しているのです。
はじめは勢いがあっても続かない人
露伴は「逸る気」の人の特徴をいくつか挙げています。
読書をすれば、一日に数十巻を流し読みする。
書を書けば、千万字を飛ぶように書く。
旅に出れば、初めのうちは山河を踏破する勢いを見せる。
ところが、どれも途中で疲れて挫折してしまう。
まさに「最初の勢いだけで終わってしまう人」の典型です。
現代でも同じような光景が見られます。
たとえば、新年に立てた目標に燃えてジムに通い始めるものの、2週間で行かなくなる。
資格試験の勉強を始めても、数日で集中力が切れてしまう。
これらはすべて「逸る気」による失速の例です。
「張る気」と「逸る気」の違い
露伴は続けてこう述べています。
「張る気は非常によい気である。しかし、張る気が一転して逸る気になると、物事はうまくいかなくなる。」
「張る気」とは、前の節(102)で語られた「気の張り」と同じ意味で、心が自然に集中し、前向きな緊張感をもつ状態を指します。
それに対して、「逸る気」はその気持ちが度を越し、焦りや過剰な期待へと変わった状態です。
つまり、
- 張る気=自然な集中と前向きなエネルギー
- 逸る気=焦りと空回り
という違いがあります。
「頑張ろう」という意欲が強くなりすぎると、「早く結果を出したい」「今すぐ認められたい」という気持ちに変わり、持続的な努力が難しくなるのです。
「逸る気」が失敗を招く理由
焦りは、判断力を鈍らせます。
努力の質よりもスピードを優先してしまい、基礎をおろそかにする。
その結果、表面的な成果は得られても、長期的な成長が止まってしまうのです。
また、「早く結果を出したい」と思うほどに、思い通りにならない現実に苛立ち、やる気を失いやすくなります。
努力が続かない最大の原因は、「焦りからくる燃え尽き」なのです。
露伴が言う「逸る気は長続きしない」という警句は、現代の心理学で言う“バーンアウト(燃え尽き症候群)”にも通じます。
強すぎるモチベーションは、一見良いようでいて、実は自分を追い詰める要因にもなるのです。
焦らない努力を続けるために
では、どうすれば「逸る気」に流されずに努力を続けられるのでしょうか。
露伴の教えをもとに、現代的な3つの実践法を挙げます。
- 小さな目標を立てる
大きな目標だけを見ていると、達成までの時間に焦りが生まれます。
日々の小さな成果を積み重ねることで、「進んでいる感覚」を持てます。 - 過程を楽しむ
結果よりも、「今日の行動が自分を育てている」と意識すること。
露伴のいう「気の張り」は、この“過程を味わう心”から生まれます。 - 休む勇気を持つ
気を張りすぎて逸る前に、あえて立ち止まる時間を設けること。
休むことで、再び「自然な張り」が戻ってきます。
持続する人は、焦らない人
露伴は、努力とは「長く続けること」だと繰り返し説いています。
努力を一時的な情熱で終わらせず、淡々と続ける――それが本当の実力につながります。
焦っているときこそ、心に留めておきたい言葉があります。
「逸る気は長続きしない」
この一文は、単なる戒めではなく、「焦ることは自然だけれど、持続こそが本物の力だ」という優しい励ましでもあります。
まとめ:焦るより、静かに続ける力を
幸田露伴が『努力論』で説く「逸る気」とは、誰もが陥りやすい心の罠です。
「早く成長したい」「結果を出したい」という気持ちは尊いものですが、それが焦りに変わると努力は続きません。
大切なのは、静かに、しかし確実に「張る気」を保つこと。
焦らず、一歩ずつ歩む人こそが、最終的に最も遠くまで進むのです。
