「凝る気」が失敗を招き、「張る気」が成功を呼ぶ|幸田露伴『努力論』に学ぶ柔軟な生き方
「凝る気」と「張る気」の違いとは
幸田露伴は『努力論』の中で、「気」の使い方が人生の成否を分けると説いています。
その中でも「凝る気」と「張る気」は、よく似ているようでいて本質的に異なります。
- 張る気(はるき):前向きで柔軟な集中力。自然に努力できる状態。
- 凝る気(こるき):執着や固執に変わった状態。自分の考えに縛られて柔軟性を失う心。
露伴は、武田勝頼と豊臣秀吉という対照的な二人の武将を例に、この違いを見事に描き出しています。
「凝る気」で敗れた武田勝頼
露伴がまず挙げるのは、戦国武将・武田勝頼です。
彼は父・信玄の死後、武田家を率いて勢力を広げましたが、1575年の長篠の戦いで織田信長・徳川家康連合軍に大敗を喫しました。
露伴はこの敗北の背景を、「凝る気」の悪影響によるものだと指摘します。
「一か所に踏みとどまり、後にも前にも、右にも左にも動かず、勝利を収めるまでは退かないという無理な戦いをした」
勝頼は父・信玄の「騎馬軍団による突撃戦術」に強くこだわり、鉄砲を用いた織田・徳川連合軍の新戦法を軽視しました。
「退かぬ」「譲らぬ」という強い意志は勇気の証でもありますが、状況に応じて柔軟に戦術を変えることができなければ、勇気はやがて“頑固さ”に変わります。
露伴は、勝頼の勇気を否定しつつも同情しています。
「勇者というのはすべて張る気が強い人である。勝頼も勇者には違いない。しかし惜しいことに、その強い張る気が隣気の凝る気に転化してしまった。」
つまり、「張る気」があまりに強くなりすぎた結果、それが「凝る気」――すなわち執着へと変わってしまったのです。
「張る気」で成功した豊臣秀吉
一方、露伴は豊臣秀吉を「張る気」を上手に活かした人物として称えています。
秀吉は1584年の小牧・長久手の戦いで徳川家康に敗れました。
しかし、彼はその敗北に固執せず、戦線を無理に拡大することもありませんでした。
「自分の母親を人質に差し出して家康を懐柔し、天下統一を早めた」
これは、表面的な勝敗にとらわれず、長期的な視点で“目的を達成するための柔軟な選択”をした証拠です。
秀吉の強さは、まさにこの「張る気」にあります。
常に高い意識を保ちながらも、状況を冷静に見て最適な方法を選ぶ――その柔軟さこそが成功の鍵だったのです。
「凝る気」が生む失敗、「張る気」が導く成功
この二人の対比から、露伴が伝えたい教訓は明確です。
- 凝る気は、自分の考えややり方に固執し、変化を拒む心。
- 張る気は、集中しながらも柔軟に変化を受け入れる心。
努力しているとき、人は誰しも「張る気」を持ちます。
しかし、その気持ちが「こうでなければならない」という思い込みに変わると、「凝る気」に転じてしまうのです。
たとえば、仕事で新しい方法を提案されたときに「いや、これまでのやり方で十分」と拒む人。
あるいは、勉強で効率的な方法があっても「昔ながらの方法こそ正しい」と譲らない人。
これらはすべて「凝る気」に支配された状態といえます。
一方で、「まず試してみよう」「必要なら変えてみよう」と考えられる人は、「張る気」を持っている人です。
現代に活かす「張る気」の姿勢
露伴の教えは、現代のビジネスや人間関係にも通じます。
変化の激しい時代において、過去の成功体験に固執していては成長は止まります。
- 成功に酔わず、常に学び続けること。
- 敗北しても、自分の方法を変える柔軟さを持つこと。
- 自分の信念を貫きながらも、時代の流れを読むこと。
これらすべてが「張る気」の実践です。
秀吉のように「勝つこと」よりも「活かすこと」を選ぶ姿勢は、現代のリーダーにも必要な資質でしょう。
まとめ:執着ではなく、柔軟な集中を
幸田露伴の言葉を借りれば、
「張る気はよいが、凝る気に転ずれば失敗する。」
努力の本質は「やり抜くこと」ではなく、「やりながら変わること」にあります。
変化を恐れず、必要に応じて方向を変える勇気を持つ――それが、真の「張る気」なのです。
武田勝頼の「凝る気」は、勇気を失敗に変えました。
豊臣秀吉の「張る気」は、敗北を成功への道に変えました。
その違いこそが、努力を続ける上での最も重要な分岐点なのです。
