「一つの状態にとどまるな」幸田露伴『努力論』に学ぶ、停滞を避ける生き方
安定はやがて停滞を生む
幸田露伴は『努力論』の中で、人間の成長における「変化の必要性」を繰り返し説いています。
この節「一つの状態にとどまるな」では、安定を求めすぎることの危険性を強く警告しています。
「人間にかぎらず、動物でも植物でも、長く同一状態にあると、枯れたり衰えやすくなるものだ。」
自然界のあらゆる存在は、絶えず変化しながら生きています。
植物が季節の変化に合わせて芽吹き、花を咲かせ、葉を落とすように、生命は「動き続けること」によって成り立っています。
露伴は、人間も例外ではないと言います。
「安定」を求めて同じ状態を続けていると、最初は安心感を得られても、やがては発展が止まり、衰退が始まる。
それは、自然の摂理に逆らう生き方だからです。
同じことを繰り返すだけでは成長できない
露伴は、動物の例を挙げて説明しています。
「同一状態を繰り返すときは、精神も身体も同一の気質と機能だけが使われるため、ある程度までは進歩するが、それからあとは疲弊するだけになる。」
人間の脳や身体も、同じ刺激だけを受け続けると、やがて慣れて反応しなくなります。
それは“安心”ではなく、“惰性”です。
たとえば、同じ仕事を長年続けていると、最初は上達を感じても、ある時期から「もう伸びない」と感じるようになります。
同じやり方・同じ環境・同じ考え方――それらは一見安定しているようで、実は「成長の停止」を意味します。
露伴は、「人間の発達進歩は一定の限度を過ぎると止まる」と明言します。
安定に浸っているうちに、少しずつ気力(=張る気)さえも失われてしまうのです。
安定を保つだけでは「張る気」が失われる
『努力論』の中でたびたび登場する「張る気」とは、物事に自然に集中し、前向きに取り組むためのエネルギーのこと。
この「張る気」は、変化の中でこそ生まれると露伴は言います。
「一定の限度を過ぎると、人間の発達進歩は止まり、その次には委縮と不振が始まり、最後には張る気まで失ってしまう。」
つまり、変化を拒み、同じ場所にとどまることは、精神的な枯れを招く行為なのです。
安定は安心をくれますが、同時に、心を鈍らせ、やがて情熱を奪っていきます。
この言葉は、現代の「安定志向」の社会にも鋭く突き刺さります。
仕事を失う不安、変化への恐怖から、現状を守ることばかりにエネルギーを使っていませんか?
露伴はそんな私たちに、「守るよりも変わる勇気を持て」と語りかけています。
「変化し続ける」ことが最大の努力
露伴の言う「一つの状態にとどまるな」は、単に転職や環境の変化を勧めているのではありません。
もっと根本的に、「自分自身の中に変化を起こせ」というメッセージです。
- 新しいことを学ぶ
- 慣れた方法を少し変えてみる
- いつもと違う視点で物事を考えてみる
こうした小さな変化が、停滞を防ぎ、「張る気」を蘇らせます。
変化とは、外的な環境だけでなく、内面の更新でもあるのです。
また、露伴は「変化は疲れるもの」とは言っていません。
むしろ、変化こそが生命の自然な働きであり、動き続けることが「生きている証」だと述べています。
変わる勇気が、成長を呼び戻す
変化を恐れる気持ちは誰にでもあります。
しかし、露伴が示すように、変化を拒むことの方がはるかに危険です。
たとえば、植物が根を張りすぎて新しい栄養を吸収できなくなるように、私たちも「現状維持」という名の安心感にしがみつくと、心の栄養を失ってしまいます。
逆に、少しでも新しい風を取り入れることで、再び成長が始まります。
それが「張る気」を取り戻す唯一の道です。
露伴のこの節は、現代のキャリア論や自己啓発にも通じる普遍的な教えです。
“変わること”は、“挑戦すること”であり、“生き続けること”でもあります。
まとめ:「安定」はゴールではなく、通過点
幸田露伴『努力論』の「一つの状態にとどまるな」は、
“安定に満足した瞬間に、人は成長を止める”という厳しくも温かいメッセージです。
安定を保つことは悪ではありません。
しかし、それを「目的」にしてしまうと、人は進化を忘れてしまいます。
成長し続ける人は、常に小さな変化を恐れません。
昨日と同じ自分に満足しない――その姿勢こそが、「張る気」を持ち続けるための秘訣なのです。
一つの状態にとどまるな。
それは変化を恐れるなということ。
変わり続けることこそ、努力の証である。
