マルクス・アウレリウスは『自省録』の中で、セックスや食べ物、衣服についてあえて冷ややかな言葉を使って表現しました。
「肉料理は死んだ魚や豚にすぎず、ワインはブドウの汁にすぎない。紫の衣は貝の血で染めた羊毛にすぎず、交合とは陰部をこすり合わせ、粘液を射出する行為にすぎない」
一見すると極端でシニカルな表現ですが、ここにはストア派が実践した「侮蔑表現法(descriptive devaluation)」と呼べる訓練の意図があります。
なぜ「侮蔑表現法」を使うのか?
人間は本能や文化的な刷り込みによって、ある対象を「特別」だと信じ込みます。
- 美味しい料理は「至福」だと思い込む
- セックスは「人生最高の喜び」と誇張される
- 高価な衣服は「成功の象徴」とされる
しかし、これらを冷静に分解してみると、ただの生物的・物質的現象にすぎません。
このように「飾りを剥ぎ取って見る」ことで、私たちは対象に対する過剰な執着や欲望から解放されるのです。
欲望を冷ます具体例
- SNSで見るきらびやかな写真
→ 実際は「必死に格好よく見せようとした演出」である。 - 出世や昇進
→ 「成功者」とされる人の生活を覗いてみれば、不安や孤独を抱えていることが多い。 - お金
→ 実際には「細菌に覆われた汚れた紙や金属」である。 - 憧れの人物
→ その人にも欠点があり、過去に失敗や挫折を経験している。
こうして「ありのままに」対象を見直すことで、理性のバランスを取り戻せるのです。
シニカルではなく、客観性を得るために
注意すべきは、この訓練が「世の中を否定的に見るためのもの」ではないということです。
むしろ目的は、必要以上の幻想や欲望から自分を解放し、対象を適切な大きさに見直すことにあります。
つまり、侮蔑表現法はシニシズムではなく、ストア派が重んじた「客観性を保つ技術」なのです。
まとめ ― 飾りを剥がして本質を見よ
マルクス・アウレリウスの侮蔑表現法は、華やかさに隠れた本質を見抜くための実践的な知恵です。
- 欲望に支配されない
- 物事を冷静に判断できる
- 必要なものと不要なものを見極められる
私たちも日常の中で、この視点を意識するだけで、心の平静と自由を少しずつ取り戻せるでしょう。